新垣道太(しんがき みちた)

新垣道太(しんがき みちた)

駒澤大学野球部コーチ

2015-02-14

2014年末に、駒澤大学コーチに就任した新垣道太氏へのインタビューを行いました。

当初インタビューを行う予定だった日が、何と大雪の予報!あきさみょ~、これは困った。早速、新垣氏へ連絡を取り、日程の変更を依頼すると、快く受けてくださいました。ご多忙の中、こちらの勝手な都合にも関わらず、ありがとうございました。

 当日は、前日の強い風から一転。気温は1桁と低めながら、ほぼ無風状態でした。ただ、前日の雨の影響で練習場はぬかるんでおり、新垣氏自慢の守備と、その指導を見ることができなかったのは残念。次回のお楽しみに、取っておきましょうね。

コーチ就任の経緯

大平「今日は貴重な時間をありがとうございます。早速ですが、今回のコーチ就任の経緯を教えてください。」

新垣 「はい。実は、駒澤大学のコーチ陣が手薄だと言う話は、前々から出ていて、OBである自分の耳にも届いていました。で、『やってみないか?』と言う打診もあったのですが、会社との兼ね合いもあって検討していた所、会社からのバックアップを得ることができ、今回就任に至りました。」

大平「なるほど。と、言うことは、現在は日本通運での所属は?」

新垣 「はい、駒澤大学に出向と言う扱いです。選手として、主将として、コーチとして、12年間日本通運に所属して来たのですが、心機一転、環境が変わることによって、野球人としても、人間としても、更なるステップアップができればと思っています。今は、勤務先は駒澤大学で、1日中いますよ。」

大平「そうでしたか。ですが、タイミング的に、東都リーグと神宮で優勝した直後ですから、周囲の期待が非常に高く、重圧も大きいのではと思うのですが.....。」

新垣 「それについては、その通りと思います。頂点を掴んだ所での就任ですからね。でも、追われる立場に最初からなっていると言うのは、これ以上無い環境と思って、萎縮すること無く、逆にその重圧をエネルギーにして行こうと思っていますよ。」

大平「駒澤大学での新垣さんの主なコーチの対象は?」

新垣 「自分は野手出身なので、守備と打撃ですね。投手については、基礎体力や、精神面を指導できればと思っています。」

目指す指導方法

大平「では、就任に当たって、今後駒澤大学をどんなチームにして行こうと言う、方向性があれば教えてください。」

新垣 「基本は、『長所を伸ばす』ですね。その人間によって、得意不得意があると思います。無論、不得意とは言っても、試合に勝てる最低限の線は必要なのですが、その上で、更に不得意な所を伸ばすのでは無く、得意な所を更に伸ばそうと思っています。」

大平「なるほど。全教科70点では無く、合格最低点の教科がいくつかある中、90点100点の教科を作ると言った感じですね。」

新垣 「そうですね。不得意なことを克服できれば、それはそれで楽しかったと言えると思うのですが、せっかく好きな野球をするのであれば、楽しくやりたいと思います。ですから、長所を伸ばしたいと思います。」

大平「練習を見ましたが、皆とっても楽しそうにやっていましたよね。かく言う私も、そんな楽しそうに野球をしている人達の中にいたので、自然とニヤニヤしてしましました。」

新垣 「ははは。大平さん、本当に野球好きですね。ふざけながら野球をするのは、当然論外なのですが、大好きな野球をより楽しくやれば、自然と笑顔が溢れると思います。そうしながら練習をすれば、より一層技術の向上につながると思いますので、そんな練習を目指していますよ。『練習で泣いて、試合で笑え。』と言う言葉もありますが、自分は、練習も笑顔でやりたいですね。」

学業優先

大平「学生相手な訳ですが、学業との両立については、いかがですか?」

新垣 「これはもぉ、口酸っぱくして言ってます。『学業優先』だ、と。中には、入学金から学費まで、自分で賄っている学生もいますが、多くは親に出してもらって、学生生活を送っているのですから、野球が理由で学業に影響が出ることは、自分は許しません。この感覚は、年を取って、親になると、より一層感じることですが、中々学生には伝わらないのが難しいのですけどね。ですが、単位を取れなかったら、それは卒業にも影響して来ますから、何が何でも、単位は取れと言っています。大学の勉強は、確かに専門分野に特化した内容ですが、それは、基本的には自分が得意な分野なハズですから、講義に出席し、ちゃんとやれば必ず単位は取れるんです。それらをやらずに、野球のせいにするのは、ダメだと常々言っています。」

大平「学校によっては、練習時間の制限がある所もありますからね。私の知り合いで、練習は午前中しかやれない規則の所に通っている時、始発電車で練習場に行って練習していた野球バカがいました。要するに、時間の使い方ですよね。」

新垣 「そうですね。使い方は、人それぞれやり方があると思うので、細かい所は任せていますが、学業優先と言う考え方は、徹底させてます。」

気合の入った学生に

大平「他に何か、学生への指導で、心がけている所があれば教えてください。」

新垣 「ん~、これは抽象的な表現になってしまうのですが、『気合の入った』学生になって欲しいと思い、指導しています。」

大平「気合ですか!」

新垣 「何と言うか、表現が難しいのですが、例えば、大学卒業後は、いわゆる上等な企業に就職して欲しい訳ですよ。最近は、就職状況も好転して来ているようですが、やっぱり、1流と言われる所は、入るのが難しいと思うんです。でも、入社試験や面接で、気合の入った学生は、人事担当としては、必ず採りたがると思うんですよ。ですから、野球部でやって来たと言うことと、気合の入った人間であることを表現できるように、常日頃から、大きな声を出したり、キビキビ動いたりと言うことをさせています。」

大平「我々の時代.....って、新垣さんよりも更に上の世代ですが、精神論重視で、気合と言うのは、非常に重要な要素でした。でも、やっぱり、重要ですよね。今でも私はそう思っています。」

新垣 「入社試験等の時もそうですが、社会に出てから、彼らは背中に『駒澤大学』の看板を背負って生きることになるんです。その看板に泥を塗らず、更に、広告塔になるようにと言うことを願って、気合が入った学生を数多く生み出したいと思います。」

大平「いや~、さすがです。私何ぞは、気合のカケラもありませんが、新垣さんが気合が入った人だと言うことは、ヒシヒシと伝わって来ますよ。表現が難しいこともわかりますが、充分、思いは伝わりました。」

新垣 「それに、40歳まで現役野球選手でいられる人は、本当に数少ないと思います。多くの人は、30歳の声を聞いた時点で第一線から退くと思います。つまり、第一線を退いた後の人生の方が、ず~っと長い訳です。そこで、『野球しかやって来なかったから、何も知りません。』では通じませんから、まぁ、気合もそうなのですが、組織の中での立ち振る舞いや、人との付き合い方等も重視しています。」

怪我について

大平「さて、これからは新垣さんにとって辛い話題になると思いますが、私の印象としては、新垣さんは特に社会人になってから、怪我との闘いだったと思います。その点はいかがでしょうか?」

新垣 「はい。正にその通りですね。いや、自分はプロを目指していましたが、結果的にプロにはなれませんでした。その理由や原因を怪我のせいにするつもりは全く無いのですが、怪我のために、練習や試合を思った通りにできず、悔しい思いをして来たのは事実ですね。」

大平「大学4年の東都リーグで最高殊勲選手に選ばれ、神宮大会でも優勝し、プロに行くんだハズと、私の周りは盛り上がっていたのですが、残念ながら指名されずに、日本通運に行ったと思うのですが、大学の頃は、怪我を感じさせない動きだったと記憶しているのですが.....。」

新垣 「いや、実は、怪我との付き合い、闘いは、大学時代からでした。」

大平「え~?そうなのですか。」

新垣 「若さを過信していたのと、試合に出たかったのと、あの頃は、『やれ』と言う指導方針が主流だったのと、まぁ、そんなこんなが重なって、怪我したまま野球を続けていました。確かに、若かったので、大学時代は試合を欠場する程にはなりませんでしたが、いくら若くとも、ずっと怪我をした状態で続けていると、いつかは大きな怪我になってしまいます。社会人になって、そんな状態でした。大好きな野球が思うようにできないと言う、辛い時期でしたね。」

大平「そうですか。では、今は、その自分の体験を踏まえ、学生指導をしていると言う訳ですね。」

新垣 「そうです。怪我をしたからこそ、当事者だからこそわかることが沢山あります。休む時は休む、病院等に行くべき時は行く。ただ、難しいのがその判断と線引きですよね。本当は痛いのに我慢しているのか?姉ぇ姉ぇとデートしたいから、痛い振りをしているのか?そこを正しく判断できれば、その後の指導はできる自信があるのですが、この判断が難しい!」

大平「何とかして練習をサボろうとするのは、学生の特権ですからね。」

新垣 「我々の時代は、『試合中に水を飲むな』『肩を冷やすな』等、今の考えとは真逆なことを指導され、それに従っていたために怪我をしていたことが、今にして思えば沢山思い浮かびます。時代によって、最新の健康管理方法は変わって来ますので、それらをいち早く取り入れるようにすることも必要だと思っています。正しい情報の入手は、重要ですけど、大変ですよ。」

来れうちな~んちゅ

大平「いや~、経験に基づいた指導をし、精神面の向上もバッチリ面倒見てくれるとっても上等なコーチだと思うのですが.....。」

新垣 「が?」

大平「部員に今、うちな~んちゅがいないのが寂しいですよね。」

新垣 「この4月には、砂川修が入って来ますよ。」

大平「はい、存じあげています。ですが、高校まで沖縄で生活をし、期待と不安を感じながら大学生活を東京で送ると言う時に、新垣さんのような方が身近にいれば、この上無い安心感を得られると思います。」

新垣 「いやいや、自分何て未だ未だ。それに、部員は、うちな~んちゅでも内地の人間でも、分け隔てることは無いですよ。」

大平「本当ですか?本当は、うちな~んちゅが沢山来て欲しいのでは無いですか?」

新垣 「.....そうですね。特別扱いはしないのですけど、うちな~んちゅと一緒に野球ができれば、きっとより一層楽しくなると思います。まぁ、今は、選択枝が沢山あるので、昔程は、駒澤大学野球部に、うちな~んちゅが集まらないのは、事実としてありますね。」

大平「だったら、宣伝しないと~!」

新垣 「わんと一緒に野球しよう!と、まぁ言うのは簡単ですけど、まずは実績作りですね。幸い、去年は東都リーグと神宮大会で優勝をしたので、これからもそう言った檜舞台で活躍できるようなチームを作りたいと思います。」

大平「そうすれば、うちな~んちゅの部員も増えるハズですね。」

新垣 「そうなるように、これからも頑張ります。」

 新垣氏が高校2年の時、選抜大会で姫路工業を破ったのが、今のところ沖縄水産の甲子園での最後の勝利です。筆者はその試合を観に行っていますし、大学時代の試合や、都市対抗と、結構新垣氏のことは観て来ました。しかし、いつも観る時は金網越しでしたが、今回は至近距離で話ができることに、とてつもない喜びを感じました。その鋼のような肉体は、高校,大学時代から全く変わっていないように見えます。誠実さと優しさに満ちあふれたそのたたずまいは、「良い人」の範疇を逸脱し、「素晴らしい人」と思います。沖縄での生活と、全く同じ年月内地で生活をしたことになるこの春、言葉はすっかり共通語になっていますが、その風貌や、熱い思いは、正にうちな~んちゅそのものでした。社会人に鳴り物入りで入り、怪我との闘い。主将に就任後、都市対抗10年連続出場記念のトロフィーを渡され、そのトロフィーよりも新垣氏に向けたナインの祝福に、はにかみながらも笑顔で答えるその姿。常に向上心を持ち、野球を楽しむその姿は、野球好きの理想像と言えると思います。

 新垣氏のように、沖縄を離れ、内地でちばっているうちな~んちゅは数多くいると思います。そんな、内地に沖縄の風を運んでいる人達に、是非注目して、声援を送って欲しいと思います。特に、新垣氏は、その価値が充分にあると、筆者は太鼓判を押します。

 今年も、東都リーグ,大学選手権,神宮大会の優勝の輪の中に、新垣氏がいることを期待しています。チバリヨ~、新垣道太!

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