名幸一明

名幸一明

プロ野球(NPB)審判員

2015-03-14

今年はプロ野球12球団中10球団が沖縄でキャンプを行っている。そしてキャンプ地で選手とともに実戦練習を行なっているのが審判員。ブルペンでは1球1球発声しながら、「ストライク!」、「ボール!」の判定を"練習"する審判員の姿がみられる。野球のゲームを行うにあたり、何より不可欠なのは審判。その審判員の中に県出身の名幸一明氏がいる。名幸氏は、2003年から2012年まで10年連続で日本プロ野球選手会が行っていた「選手が選ぶ!ベストアンパイア」に選出された。そして昨年は日本シリーズの舞台にも立った。

日本シリーズ第2戦で球審

阪神とソフトバンクで争われた2014年の日本シリーズ。審判歴17年目で初めて日本シリーズに出場した名幸氏は、行なわれた5試合中4試合に出場した。

「公式戦でいろいろと経験してきたのですけど、あの舞台というのは最高な舞台です。歓声とかももの凄いですし、公式戦と比べて雰囲気も違うし緊張感も全く違いました。やっぱり一度経験しないと味わえない緊張感がありますし、やりがいがありました。あれを一回経験したら、また次も日本シリーズに出たいという気持ちになりますね。やっぱり大舞台ですから」と話す名幸氏。そして第2戦が行なわれた甲子園では球審を務めた。「この試合は両投手の投げあいで1点を争うゲーム。もう一球たりともという感じで、ボール一球に集中してやろうと思っていたんですね。だからスタンドを見る余裕もなかったですね」。その試合、名幸氏は一球一球集中してジャッジを下し「自分に納得できるような内容」で無事試合を終えた。大舞台で行なわれた緊迫した内容のゲームでの球審。それだけに本人も「最近では一番印象的なゲームだった」という。

野球が大好きで審判の道へ

「やっぱり思うのは、野球が本当に大好きということですね。審判は奥が深いですし、もっと野球に携わりかったので、今でもグランドに立てるというのが嬉しいですね。審判って大変なのが分かっているので皆やりたがらないですよね。ですから、好きじゃないとできない仕事、野球がほんと好きじゃないと立てない、審判とはそう思います」。今年で審判歴18年目を迎える名幸氏が審判員になったのは30歳の頃。興南高校時代はデニー友利(現中日コーチ)とバッテリーを組み、卒業後に大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)にドラフト外で入団。選手として8年間在籍し、引退後は3年間ブルペンキャッチャーを務めた。「横浜で球団職員になるという話があったときに、まだグランドに立ちたいという気持ちがあって、自分から球団にお願いして審判のテストを受けました」。現場でユニホームを脱ぐのをきっかけに、野球が大好きで野球に携わっていたいとの思いが強かった名幸氏は審判員の道を選ぶこととなった。当時は、審判は空きが出たら募集するという状況で、時期的にもタイミングが良かったという名幸氏は、プロ野球の審判員に採用された。そして、2年目にはアメリカの審判学校に約40日間派遣されるなどして、5年間は2軍でみっちり下積みを経験、6年目に1軍デビューを果す。待ち望んだ1軍の試合。「神宮球場の3塁に初めて立ったんですけど、やっとメイン舞台に立てたなという嬉しさと普段とは違う緊張感で、宙に足が浮いたような、そんな感じでしたね」。その日から1軍でのジャッジも10年を越えた。「一軍に早く出たい出たいと思っていたのが、今は、開幕から出たい、開幕に立ちたいというのが目標になっています」と、ここ数年は開幕戦のグランドでジャッジを務めている名幸氏は一軍デビュー当時を懐かしんだ。

10年連続で「選手が選ぶベストアンパイア」に選出

名幸氏は、2003年から2012年まで10年連続で日本プロ野球選手会が行っていた『選手が選ぶ!ベストアンパイア』に選出されている。「形にない賞なんですが、現場の選手が選んでくれているのでほんとに嬉しいですね。正確なジャッジを常に追及しているし、自分も野球を経験しているので納得するジャッジを目指しています。それが結果的に評価されたのかなと思います。最初の頃は選んでもらっても、試合に50か60ぐらいしか出ていなかったので、まだ自分には納得できなかった。それが10年目を過ぎて慣れてきた頃に、その事がだんだんと自信になってきましたね」。

精神的なタフが求められる審判

「精神的にタフじゃないと審判はできないなっていうのはありますね」と話す名幸氏。ミスがなくて当たり前と思われる仕事。それでもトラブルは起こる。「いろんなトラブル経験して、それを乗り越えて行かないとうまく上がっていけないので、そういう面では精神的にしんどいときもありますね」。ひとつひとつのプレーに対して、球場に来て観戦している方の目、試合を行なっている互いのチーム、選手の目がある。ましてやテレビ中継ではスローでリプレイを何回も繰り返す。その中で求められる正確なジャッジ。大変なプレッシャーの中での仕事だ。「その辺の神経を使うということが大変だなとは思います。無事に終わってくれたら一番いいんですけどね」。また、審判員は1年契約。毎年、シーズン終了後に郵送で翌年の契約通知が送られてくるといいい、それが届かなければ解雇。ミスが続けば翌年の契約がなくなる可能性もある厳しい世界だ。

キャンプ中に審判員も走り込み

審判にとって欠かせないのが体調管理。「体調管理というのはやっぱ大事にしていっていますね。キャンプ中は僕らも結構走っているんですよ。こっち来てね、毎日10キロくらい毎日走っています。やっぱり足腰を鍛えて、バテないような体づくりを今この期間でやっています」。キャンプ地で球場に入ると、選手がアップしている時間帯は審判員もサブグランドなどを利用してアップを行なう。そして練習終了後にはジャージに着替えてランニングをこなすという。今年は例年以上に走り込みを行なって強化に努めているという名幸氏。「今年は、また原点に戻ってしっかり鍛えようっていう意味で、例年よりも走りこんで今体力づくりもしています。納得する練習をしたら、良いシーズンが迎えられのではないかなと思います」。シーズンに入ると試合に臨む体調管理以外では、試合前の目のストレッチ、眼底ストレッチを欠かさないという。プロのスピードあるプレーを正確にジャッジする目のメンテナンスも怠らない。

大谷、斉藤、そしてダルビッシュ

名幸氏は大谷投手の日本最速162キロもマスク越しに体感した。「去年、稲葉の引退試合のときに大谷が先発で出てきて162キロを出しました。そのときに球審していました。投げた瞬間にもうバッターの付近に来てますね。それを僕らは目の前で見ているんで、速いですよ(笑)」。名幸氏は大谷投手と斎藤佑樹投手のプロ初勝利もマスク越しに見届けたという。「不思議なものですが、たまたまタイミング良く球審を務めた。そういうのは印象に残っていますね」。十数年1軍でジャッジをしてきた名幸氏が最も印象に残っている投手がダルビッシュという。アメリカへ行く前の年、2011年、ダルビッシュは自己最多の18勝を挙げたが、そのうち6勝は名幸氏が球審を務めたときの勝利だったという。偶然にもダルビッシュが先発する試合で7試合も球審があたり、結果6勝1敗だった。150kmを越える球速に変化球マイスターと呼ばれるほど多彩でキレのある変化球を操るダルビッシュ。「ダルビッシュは凄かったですね。日本でもあれだけいろんな球を投げて、メジャーでも絶対に通用すると思いましたよね。他の投手とまったく違いましたね。キャッチャーも捕るのに必死ですから、バッターが打てる気がしないというか、大変でしたね打つ方は。田中マー君は2、3試合しか見てないけど、ダルビッシュは結構球筋を見ていたので、絶対に彼のほうが凄いなと感じましたね」

3年連続決勝で敗れた高校時代

興南高校出身の名幸氏の高校時代は、興南、沖縄水産の2強時代と呼ばれた時代だった。「最後の夏は2対1で沖縄水産に決勝で敗れました。僕が高校に入って、3年連続で沖縄水産に決勝で負けたんです。僕が試合にでたのは2年生、3年生のときですが、悔しい思いしかしてないですね。あと1本というところで、負けていたので、これを勝っておけば甲子園とだったのですが、手に届きそうで届かない遠い存在でしたね甲子園は」。凌ぎを削った2校だったが、名幸氏の在学した3年間は決勝での軍配は興南には上がらなかった。しかし、そのレベルの高いライバル環境で練習に打ち込んだ名幸とデニー友利のバッテリーは、一緒にプロ野球への道を歩むこととなる。

沖縄出身の唯一の現役NPB審判員

「沖縄から、友寄さん、渡真利さん、自分といたんですけど、もう2人も現場にいないので 自分だけなんですよね」。長年にわたり審判を務めてきた友寄審判は、昨年から審判長に就き現場を離れた、渡真利審判は、体調不良のため2009年に退職した。現在、沖縄出身のプロ野球選手は22名を数えるが、プロ野球のグランドに立つ沖縄出身の審判員は名幸氏だけである。「選手は沖縄から増えているんで、審判も沖縄からも出てきてほしいですよね、もう一人ぐらい」と地元沖縄からのNPB審判員を名幸氏は待ち望む。そして野球が好きな子どもたちへは「野球を通していい社会人になってほしいですね。野球も一生懸命する、勉強も一生懸命する。そして、親を初めいろいろな面に感謝しながら野球を続けて、将来はしっかりした大人になってほしいですね」とエールを送った。

Profile

名幸 一明 (なこう かずあき)

1968年10月19日生まれ。興南高校時代は、捕手としてデニー友利とバッテリーを組む。高校卒業後、横浜大洋ホエールズにドラフト外入団。8年間の選手生活後、3年間ブルペン捕手を務めた。1998年よりセ・リーグ審判員(現在はNPB審判員)。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

名幸一明:インタビュー トップに戻る