砂川哲平
砂川哲平
2015-01-15
朝晩はめっきり寒くなりましたが、昼間はそこそこ暖かい年末。ご多忙の中、時間を割いてくださった砂川選手に会うため、最寄り駅の千歳烏山に到着。あっがいたんでぃ~!しかし、タッチの差でバスは行ってしまいました。どうする?25分待つか?いや、こんなてぃ~だくわんくわん(良い日差し)な日は歩くべき!気合を入れて歩いた割には、10分程であっさり到着。
グラウンドからは、元気な声が聞こえて来ます。ですが、時は12月。きっと、基礎体力作りを中心とした練習かと思いきや、球を使ったバリバリの実践練習でした。ありんくりん(あれこれ)理由をつけ、練習をサボろうとしていた私等とは異なり、さすが日本一になるチームは、違うなと思いました。更に、早く到着したため、練習を見ていたのですが、知らんおっさんに対しても、皆気持ち良く挨拶をしてくださいました。いや~、野球って最高と思い、ニヤニヤしていると、開始時刻となり、砂川選手が現れました。
最強の敵
大平「ちょっと間が開いてしまいましたが、東都大学リーグと神宮大会の優勝、おめでとうございます。」
砂川 「ありがとうございます。」
大平「いや~、でも凄いですね。12月ですから、もっと軽めの練習をされていると思ったのに、実戦さながらですね。」
砂川 「いやいや、今日は平日で、これから授業がある連中もいますから、軽いもんですよ。休日でしたら、冬等関係無しに、非常にハードな練習をしていますよ。」
大平「ありゃりゃ、そうでしたか。これで軽めの練習.....。凄いですね。自分の物差しで計ってしまい、恥ずかしいです。」
砂川 「いえいえ。」
大平「所で、砂川選手は、北谷町出身ですが、おば~やおじ~は宮古ですか?」
砂川 「そうです。よくご存じで。」
大平「私も宮古なので。『砂川』と言う苗字ですので宮古かな、と。」
砂川 「自分自身は、住んだことは無いのですけどね。父方が宮古出身だそうです。」
大平「なるほど。では早速ですが、まずは大学生活を2連続優勝と言う、正に有終の美で締めることができた訳ですが、感想はいかがですか?」
砂川 「神宮の優勝は、確かに嬉しいのですが、それよりも東都大学リーグの優勝、もっと言うならば、亜細亜大学を倒しての優勝が印象深いです。」
大平「なるほど。亜細亜大学は、ドラフトに指名される選手が多くいて、いわゆるスター球団ですからね。」
砂川 「大学4年間、常に頭にあったのは、『打倒亜細亜大学』でした。様々なチームと試合して来ましたが、亜細亜大学の強さは群を抜いていました。」
大平「下馬評では、亜細亜大学の東都大学リーグ7連覇は固いと言われていましたからね。ですが、駒澤大学が優勝し、神宮大会でも、下馬評では『明治大学優勢』と言われていましたよね。その両方とも倒しての優勝。更に、神宮大会の優勝を決める決勝点をもぎとる原動力になったのがうちな~んちゅである砂川選手ですから、沖縄の野球大好き人間達は歓喜しましたよ。」
砂川 「明治大学は強かったのですが、あの亜細亜大学を倒したと言う実績があるので、決勝戦は終盤までお互い無得点でしたが、チームに焦り等は無かったですね。それが良かったと思います。」
大平「高校2年の時は、今宮(現ソフトバンク)を擁して春夏と甲子園に出場しましたが、3年の時は残念ながら出場が叶わず、心残りもあったかと思いますが、学生生活の最後を心残り無く、最高の形で終えられるのは、素晴らしいことだと思います。」
砂川 「結果論ですが、自分が1年生で駒澤大学に入った時に、今のメンバーを見て、『このメンバーなら行ける!』って思いました。甲子園4強以上のメンバーとなると、福山(東海大相模)位しかいませんが、例え甲子園出場を逃した選手にも、優れた選手は沢山いますから。それに、野球は一人でやるものでは無いですし。あの、1年生の時に感じた思いが、間違っていなかったんだと言うことが、何より嬉しいですね。」
沖縄を離れて思ったこと
大平「砂川選手は、中学を卒業してから親元を離れ、内地で生活していますよね。これからも、そう言う選択をする子供達は出続けると思うのですが、先輩として、何か思う所があればお願いいたします。」
砂川 「最終的には、個人の性格や、育って来た環境によって、県外に出るのが良いのかどうかは決まると思います。実際、自分と一緒に明豊高校に入ったうちな~んちゅはもう1名いたのですが、残念ながら続きませんでしたから。」
大平「ですね。最後は結果論になってしまうと思いますね。ですが、遅かれ早かれ、親元から1人立ちする訳ですから、それが3年もしくは7年早くなる違いだと言えるかも知れませんね。」
砂川 「自分から言えるのは、内地に行き、一人で生活すると言うことは、何でも自分一人でやらなければならないと言うことです。今までは、当たり前のように親がやってくれていたことを自分でする。それを経験することによって、親への感謝の気持ちをより一層抱くようになりました。」
大平「なるほど。親元から離れ、今まで気付かなかったことに触れることによって、様々な感謝の心を強く持つことができると言う訳ですね。それから、野球部のホームページでの砂川選手のプロフィールを見ると、沖縄への愛が感じられるのですが、その点はいかがですか?」
砂川 「あ、それも、沖縄を離れたからこそ、沖縄の素晴らしさを再確認できたと思います。今までは、当たり前のように存在していた、例えばゆいま~るの心等ですね。」
大平「高校2年の時、興南と対戦しましたよね。あの時に、興南の応援席から、砂川選手に大きな拍手が沸き上がったのを覚えていますか?」
砂川 「それはもう!覚えていますよ!嬉しかったですね。自分の高校の応援席よりも大きな拍手が、相手チームの応援席から上がる何て、常識では考えられませんよね。あの拍手を浴びた時、『あぁ、うちな~んちゅで良かった。』って思いました。」
大平「でも、試合は砂川選手達が、興南をばんみかした(やっつけた)んですけどね。」
砂川 「えへへ。」
大平「明豊の練習場は、2回程行ったことがあるのですが、住宅地にありますよね。練習の際の音や声等が、民家に伝わる所だと思うのですが、感心したのは、練習終了後に、近くの住宅に向かって、『今日も練習をさせていただき、ありがとうございました。』と、感謝の言葉を全員で言っていたことです。周辺の掃除等もしていましたよね。ここいら辺に、野球技術の習得、向上よりも、人格向上を目指しているんだな~と感じました。」
砂川 「え~?わざわざ来られたのですか!良くご覧になってましたね。正にその通りです。正直、辛いと思うこともありましたが、あの3年間を乗り越えたのは、大きな自信になりました。ですから、大学も内地で寮に入ったのですが、も~、全く苦労しませんでした。駒澤大学の練習場も、このように住宅地にあるのですが、高校の時とほとんど同じ環境ですので、周辺住民の方々との付き合い方等も、全く苦労せずにできました。」
大平「食事等はどうでしたか?」
砂川 「それも、特に苦労しませんでしたね。まぁ、細い自分が言っても、余り説得力無いですけど。」
強さの秘密
大平「前々から思っていたのですが、砂川選手って高校時代からずっと、怪我らしい怪我をしないですよね。いえ、別に『怪我しれ』と言う意味では無くて。」
砂川 「運が良いのですかね?」
大平「いやいや~、運だけでは無いでしょう。沖縄の野球大好き人間達の中にも、怪我で悩んだり泣いたりしている人間は沢山いると思います。砂川選手の強さの秘密があれば、是非教えてくださいよ。」
砂川 「秘密ですか?いやぁ、特にそんなのは無いと思うのですが。あるとすれば、異変を感じたら、なるべく早く対応すると言うことですかね。」
大平「なるほど。『やはり』と言う思いです。どこが痛かったり、調子が悪くても、我慢してしまう人って多いと思います。」
砂川 「ここいら辺は、高校から1人で生活して来たのも関係していると思います。自分の体は自分で管理する、と。それに、それぞれの専門家がいる訳ですから、勝手に自己判断するのでは無く、例えば、腰が痛かったら、マッサージや整体に早めに相談すると言うことは、普段から気をつけていますね。」
大平「素晴らしい!なるほど、それが砂川選手の怪我をしない秘密だったのですね。医療でも何でもそうなのですが、重要なのは治療では無く予防だと思います。人間ですから、怪我もするでしょうし、風邪も引くと思うのですが、それをなるべく防止したり、かりにそうなっても、なるべく早い内に対応すると言うことですね。」
砂川 「言われてみれば、そうですね。それから、丈夫な体に産んでくれた両親には、当然感謝していますけどね。」
ここを見てくれ、ここに期待してくれ
大平「さて、そして今度は、野球の名門セガサミーに入社し、新たな環境で野球に打ち込む訳ですが、何か思いがあれば聞かせてください。」
砂川 「その前に、2014年12月下旬から、台湾遠征があるんですよ。で、年明けからすぐにセガサミーの寮に入って練習です。ですから、今年の年末年始は、沖縄に帰れないんですよ。」
大平「あらら、それは寂しい。」
砂川 「今までも、年末年始しか帰れずに、お盆は内地で過ごしていたのですが、ついに年末年始も沖縄に帰れないかと思うと、寂しいですね。」
大平「御願不足は、で~じするよ~!(ご先祖様を大切にしないと、大変だよ!)」
砂川 「脅かさないでくださいよ。まぁ、嬉しい悲鳴なのですけどね。これから社会人になると、益々そんな風になるかなって思うと、やっぱり寂しいですね。」
大平「そこは頑張って時間のやりくりをするとして、セガサミーとなると、都市対抗等で、沖縄の代表の対戦相手になる訳ですよね。でも、間違い無く、沖縄の応援席からの拍手や声援が、セガサミー側よりも、ずっと多く砂川選手に注がれると思いますよ。」
砂川 「いやぁ、ありがたい限りです。」
大平「社会人になって、益々各メディアで取り上げられることを期待しますが、そうなった時に、『ここを見てくれ。ここに注目してくれ。』と言うのがあれば、教えてください。」
砂川 「自分は、身長も大きく無いですし、長距離打者でも無いです。でも、守備には自信があります。華麗な守備では無いのですが、堅実な守備を見て欲しいと思います。それから、打撃については、とにかく相手に嫌がられる打者である所を見て欲しいです。」
大平「良い意味で、ですよね。」
砂川 「はい。粘って粘って、1球でも相手投手に多く投げさせたり、内野ゴロを内野安打に変えたり、相手投手の決め球をわざと狙ったりと、『おいおい、砂川かよ~。』って相手に思わせるような打者を目指しています。」
大平「そうしたら、砂川選手が打席に入る時に、相手投手の表情等を見るのも、面白そうですね。露骨にしかんだりしたら、してやったりですよね。」
砂川 「ああ、それは面白いですね。自分も注意して見ようと思います。」
大平「社会人で実績を積み重ね、再来年のドラフト会議で指名されることを祈っていますね。」
砂川 「そうなれば嬉しいですね。是非、そうなるように頑張ります。」
大平「今日はありがとうございました。期待しています。」
第45回明治神宮野球大会決勝戦、6回表まで駒澤大学も明治大学も無得点で迎え、その裏、先頭の砂川選手が中前安打で出塁。犠打で2塁に進み、続く打者の2球め3盗を決めた。そして、相手の守備の乱れを突き、ついに均衡を破ると、8回にも2点を奪い、完封リレーで優勝を決めました。「いぶし銀」と言われながらも、このような大胆なこともする砂川選手は、相手からすると、「何をやってくるのか、さっぱりわからない」非常に厄介な相手だと思います。
身長は、筆者とほとんど変わらないものの、その鋼のような肉体からは、1流野球選手のかじゃ~(香)がプンプン感じられました。また、その誠実な人柄は、学生でありながら、既に人生の先達者の雰囲気をかもしだしていました。恐らく、どこに行っても、周りとの調和を図ることができ、野球でも野球以外でも、無くてはならない存在になれる人間、それが砂川選手だと思います。ただし、試合では別。相手にとことん嫌がられるような存在になり続けることが、砂川選手を光らせ、チームを勝利に結びつけるのだと思いました。
来年、弟の修選手が、沖縄尚学から駒澤大学に入学します。残念ながら、兄弟揃っての試合は見ることはできませんでしたが、兄に負けない活躍をして欲しいと思います。
高校・大学と、周りにはうちな~んちゅがいない環境で野球をして来、それは、社会人になっても、しばらく続きそうです。ですが、高校・大学と、周りを沖縄色に染めて来た砂川選手。セガサミーにも、暖かく、そして力強い沖縄の風を運んでくれると信じています。ちばりよ~、砂川哲平!