上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り
上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り その5
2015-01-15
上原氏「日本では絶対に考えられないようなお話はまだまだあります。例えば大陸側からザンジバル島へ渡る手段は船なのですが、1時間で着港する船と2時間の船があるのですが、まぁ2時間掛かる船は船賃が安く、1時間の船は高いのですが、必ず高い方に乗れと言われてました。沈んでいたのですね。」
「ええっ?」
上原氏「大きなフェリーのような船らしいのですが、何年かに1回は沈むって。でもこれは昔の話で、今はそういうことはないです(笑)。」
「よかった(笑)」
上原氏「昔は、誰が亡くなって誰が生きているのかも把握していない、しきれない。だから沈んだことが地元でニュースにならないし新聞に載らない。つい最近まで親しくしていた友人知人がいなくなったなぁと思ったら、船かしら?と思ってたみたいです。ようやく最近、戸籍のシステムが出来て、お互い年がいくつなのだなといったようなことが把握出来るようになってきた。でも、セネガルとかの国ではまだそれも確立していないようです。」
「全く僕らが知らないことだらけですね。」
上原氏「感染症対策も週に一度予防接種を受けて。狂犬病とかポリオといったような免疫が、僕の身体には10本くらい入ってます。」
上原氏「美里工業高校が優勝したときの監督さんで比嘉正央先生が、教師を辞めてネパールに学校を作られたのです。。」
1992年秋季県大会で初めて決勝に進出した美里工業高校は、豊見城南高校を4対2で下して優勝。九州地区大会では東筑紫学園(福岡県)に敗れ選抜への出場は成らなかったものの県内の公式戦初優勝を果たした。さらにその2年後、今度は夏の選手権沖縄大会の準決勝において興南を9対4の大差で下しファイナルへ進出。だが神山昇先生率いる那覇商業高校の前に敗れ去ってしまうが堂々の準優勝であった。その1988年から94年の3月まで美里工業高校で監督をなさっていたのが比嘉正央先生である。
上原氏「そのネパールの話を聞いて、何か僕にも応援出来ることはないのかなと。ネパールのお守りなのですが、これを200円で購入したら向こうの小学校の3日分ほどの給食代が賄えるということを生徒たちと話をして、具商デパートでこれを商品として売ることをやってみないかと。」
「ネパールのお守りですか」
上原氏「そうです。これを一度身につけると、人の文句を言ってはいけないという決まりがあります。もし『お前バカか?』などということを言ってしまった場合、右腕にはめていたなら左腕と、反対側の腕にはめ換えるのです。これを続けて30日間、人の文句を言わずに同じ腕にあったなら、何かひとつ、あなたにとって良いことが起きますよという、ネパールのお守りブレスレットなのですね。そういうことを具商デパートに訪れたお客さんに説明をして共感して買ってくれると。。。」
「双方にとって非常に素晴らしいことが起きますね」
上原氏「お客さんは人の文句を極力言わなくなるし、この200円でネパールの小学校の給食がクリアになる。その活動を、僕が担任していた当時のクラスの子供たちと具商デパートでやると、毎年10万円くらいになるのですね。その後比嘉正央先生に足を運んでもらって、生徒たちにネパールのことや、この10万円の使い道などを公演してもらい、終わった時に贈呈式として売上金額を渡すということを、ここ3年ほど続けていました。」 v 実際に自分でアフリカへ飛んでこの目で見て、そこでの経験を持ち帰って生徒たちに話したいのだと拓先生は語る。
上原氏「福島県の合宿所で180名ほど一緒にトレーニングを受けまして。一番下は23歳で大学卒業したばかりの子、一番上は40歳、ですから僕はその中間よりやや上という、僕にとっては良いポジションでしたね。下の子とも上の方とも話が出来る。でもそんな中でも、僕にはやっぱりやりたいことがあって。帰ってきたら高校野球にまた戻りたいし、学校の授業で持ち帰った経験を還元したい。でもJICAに携わる若い子たちは違ってて。誰でも2年後に一度は、日本へ帰って報告しなければならないのですが、彼らはそのあともまた出たいと言うのですね。ホント、前へ前へと突き進んでいく。若さは武器です。若い子の眼はホントにキラキラして、例えばあるJICAの隊員は『僕の夢は、アフリカの地で水がろくに流れない場所でも隆々と実る、そんな米(稲作)をあみ出したいのです』とか。でっかい夢に向かって輝いている若い子を見てると、僕も帰ってきたら、生徒たちにそんなでっかい夢を持たせることが出来るような教師になりたいなと思うのです。」
ザンジバルでは、以前埋められた水道管が腐食し、島のあちこちで漏水しています。しかし、どこに水道管が埋まっているのか誰も把握してないようで現在は、JICAのプロジェクトで日本企業が入り、一本一本調べながら新たな水道管システムの構築が始まったばかりです。
水道施設が無く、雨や井戸も少ない地方に派遣されている隊員は、なんとペットボトル一本でお風呂を済ませるのです。それでもそれぞれの想いのもと、生き生きと活動されています。僕もバケツ一杯の水に感謝して、今日も水浴びさせてもらいました。 実は、幸せというのはいつも周囲に溢れていて、それに気付けるかどうかで、あなたの幸Or不幸が決まるのかもしれません。(上原拓)
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