上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り
上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り その3
2014-11-11
上原氏「誰でも試験を受ける以上は、合格したいですよね。でも僕は2度落っこちた。でもあのときすぐに合格していたならば、そして野球を教えようと、あのとき向こうに渡っていたならば多分、押し付けのような感じになっていたのだろうなととっても思うのです。」
「と言いますと?」
上原氏「これも凄い運の巡り合わせなのですが、僕が向こうに惹かれるきっかけの一つになった『アフリカと白球』という本をお書きになった友成氏が、僕が訪れるJICAタンザニアのスタッフの一人なのです。フェイスブックで友成氏を見つけて、僕、あなたの本を読んで共感しました。協力隊の試験を受けてもしも、アフリカに行けることになったら野球の普及活動のお手伝いを一緒にやらせていただけますかと、メッセージを送ったのです。そして晴れて合格したら僕の赴任先がタンザニアだったのですが、それを知らせたら友成氏も『僕もタンザニアにいるのです』と。もう運命ですよね。そこで僕は、野球のグローブを沖縄県高野連にお願いして、各学校にある使えなくなったグローブを集めて向こうに持って行こうと思っていますと伝えると、『それは止めて下さい』と。」
「物資という面でも貧困層にあるアフリカならば、喜んでくれそうですが・・・」
上原氏「『ここにはニーズがありませんよ。特にあなたが行かれるザンジバル島はゼロです』と。アフリカ野球友の会の理事長をも努めてらっしゃる友成氏が先導してタンザニア野球連盟を発足させて今年の2月、そのタンザニア野球連盟が主催となってタンザニア全土で、おそらく日本全土の3倍くらいあるのかな。それくらい広い地域から集まって、初めてとなった第1回野球大会が開かれたのです。」
「野球大会が開かれるほどですから、かなり前からタンザニアでは野球は普及していた。それなのにそのすぐ隣の島になるザンジバル島にはニーズが無いと」
上原氏「ええ。そんな場所に、日本人がグローブを100個持って入るということは、日本人のエゴだと思うと友成氏は仰ったのですね。もちろん友成氏も野球が大好きで、素晴らしいスポーツだと思うと。でも、アフリカではそう思われていないのが現状なのですね。ですから友成氏からの勧めは、まず僕がザンジバル島に行き、大学で働きながら子供たちとのキャッチボールから始めて、その後子供たちが『野球って楽しい、もっと野球がやりたい』という声が高まってきたなと僕が感じた上で、高野連にお願いしてグローブを調達する、そういう方法こそ、僕らがやりたい普及活動なのですよと教えてくれたのです。」
「なるほど。現地で長い間、活動なさっているからこその目線ですね」
上原氏「そこで僕は頭をガツーンと叩かれたような気がして。野球が好き、野球は素晴らしいスポーツだよと教えてあげようというのは、決して親切心ではなくて上から目線なのだと気付かされたのです。試験を受けたその年にもし合格していたならば、現地の子に対してお前たち、なんで野球をやらないんだよ、凄く素晴らしいものなんだよと押し付けていた指導になっていたと思うのです。でも友成氏の考えに共感している今の僕は、自分のグローブひとつと、キャッチボールの相手用のひとつだけスーツケースに入れて持って行こうと考えられるようになりました。それに何が何でも野球を広めてみせると意気込んでいた当初と比べて、もし僕が赴任している間、仮にザンジバル島で野球熱の声が高まらなくても、それはそれでいいなと。僕の失敗だったなと。」
「いや、失敗にはならないと思いますよ。例えばそれが1年と9ヶ月の間で、普及が進まなくても打ちのめされることは全くなくて。小さな種を蒔いた以上は、何年後になるか分かりませんが、いつか必ず芽は出てくるものだと思うのです。そのときにあぁ、当時は芽が出なくてダメだなと思ったけど、行ってやってて良かったなと。そう思えれば、それは決して失敗ではないのです。」
上原氏「中学生以下の英語力しか無かった僕が英検準2級に合格。弱点から逃げずに向き合って頑張ったら夢が叶った。一度や二度、ダメだと言われても諦めずにコツコツやっていれば、形はどうにかなるものなんだよと、これを読んでいる子供たちに感じてほしいですよね。」
「誰もがイチロー(ヤンキース)のようにはなれないし、大谷翔平(日本ハム)のようにはなれないかもしれませんが、勉強という面ではオレってダメだな、ではなくてやっていないだけなのですよね。」
体育の教師を目指す現地の大学生たちに、当たり前だが英語で話して授業をするという上原氏。福島県での研修期間、英語で行う授業のレッスン(50分)を丸暗記するほどの努力を重ねたという。
上原氏「でも島ではスワヒリ語になるのです。大学では英語で喋れても、一歩外に出たら全く聞いたことのない言語で会話しなければ、買い物だって出来なくなる。スワヒリ語なんて無理!と言っては生きていけない(笑)。でも開き直って、楽しみと不安が半分ずつ、いや、やっぱり楽しみの方が大きいかな。」
中日ドラゴンズに2位指名されて今年大活躍している又吉克樹は西原高校から環太平洋大学へ進学した。大学で野球がやりたい。でも当時補欠だった又吉がそんなこと言ったら、知人はみんな笑うに決まっているので沖縄県内の大学ではなく且つ、新設されて間もない大学が良いと思っていた。そこでは誰も又吉を知る者が居ないので、周りの目を気にする必要もなく野球に没頭できるというものだった。「彼が3年のとき、上原健先生の下で僕コーチしていて。小さいのであだ名がマメでした。足が遅くて、肩が弱くて、守備範囲も狭い上に打てない(苦笑)。どこも守れるところが無いのでバッティングピッチャーからスタートした彼が今はプロですもんね。」(上原氏)。
今年の冬、又吉にインタビューしていると、浦添商業高校の野球部員たちが浦添陸上競技場に現れてトラックを走り始めた。野球部対抗競技大会のトレーニングを兼ねてだったが、その体の大きいこと。「羨ましいですよね。」と彼らを眺めていた又吉は、マメと言われていた当時を振り返り思わずこぼした。多少イヤなことはみんな持っているけど、だからこそ諦めない人が最後は勝つものなのだと、僕らは又吉から教わることが出来る。そして、全く触っていなかったがゆえに出来なかった英語を、大人になってから猛勉強してものにし、アフリカへ飛ぶという夢を叶えた拓先生の姿勢からも、同様に学び取ることが出来るのだ。
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