上原 拓先生のアフリカ(タンザニア・サンジバル)便り その16

2015-12-15

具志川商業高校野球部で部長などを歴任していた上原拓先生。現在はアフリカタンザニアの地でJICA(ジャイカ)青年海外協力隊の一員として、野球を通した様々な活動に励んでいます。私たちには想像もつかない遠い国ではどのようなことが起きているのでしょうか。彼の意思を尊重しておきなわ野球大好きが、彼の活動報告や現地の写真などを報告していきます。

沖縄県高等学校野球連盟 ザンジバル野球支援プロジェクト

野球についてまったく知らなったここザンジバルにも、いつのまにか3つの野球チームができた。選手の数は約80名になった。活動開始当初にNPO法人アフリカ野球友の会から提供して頂いた少数の道具を交互に使い回していたが、チームや選手が増えるにつれて道具不足という大きな課題が顕著になってきた。

しかし、ザンジバルで野球道具が手に入ることはなく、ダルエスサラームへ行っても販売している店は無い。タンザニア国内でこの問題を解決するのはまず不可能だった。範囲をアフリカ大陸へ拡げてもおそらく厳しい。

そんな状況の中、困り果てた私が頼れるのは地元沖縄でお世話になっている沖縄県高等学校野球連盟しかなかった。

出国前、「何かあれば連絡しなさい」と先輩方に掛けて頂いていた言葉を鵜呑みにして、私は素直に頼らせてもらった。

「沖縄で野球道具を集めて送ってほしい」このような身勝手な依頼だったが、先輩方は快く承諾してくれた。

しばらくして、県高野連が主催してザンジバル野球支援プロジェクトを立ち上げ、連盟加盟校を中心に野球道具の収集を広く呼び掛けてくれたのだ。収集された道具はグローブ70個、バット60本、ボール1300個にもなった。他にもボールバッグや帽子、グローブ紐やグリップテープ等まで提供して戴き、合計ダンボール30個というもの凄い量である。

このような大量の荷物をアフリカまで輸送するためには、本来、非常に高い輸送代金を準備しなくてはならない。その難題に対しても心強いご支援を頂いた。

沖縄から兵庫までは物流会社三久、兵庫からザンジバルまでは株式会社バラカが無償輸送してくれたのだ。

本プロジェクトを主催してくれた県高野連、大切な道具をご提供戴いた県民の皆さま、ご協力頂いた企業の方々へ深く感謝申し上げたい。本当に有難うございました。

ザンジバル野球連盟設立

この道具を受取るにあたって、一つの大きな問題が発覚した。それは、道具を受け取るはずのザンジバル野球連盟が存在していなかったことだ。

昨年12月、第2回タンザニア甲子園へザンジバル代表チームとして公式に参加するため、連盟設立の手続きを行い、ザンジバルスポーツ省へ登録した(はずだった)。

私たちは何の疑いもなくザンジバル代表チームとして大会へ参加し、その後も活動を続けていた。

2015年6月8日、道具がザンジバル港に到着した。

受取りの手続きを始めようとしたところ、政府担当者は「存在しない野球連盟に渡すことはできない」と言う。

確かに、存在しない組織が受け取れるはずがない。「登録したはずの野球連盟がなぜ無いのだ」と文句や愚痴を重ねても現状が変わることはない。私たちは、連盟設立の手続きを再度行うことにした。

とは言ってもそんなに簡単なことではない。これまでの経験から、政府の役人であっても約束や時間を守らないことを知っている。そんなゆっくりした人たちと進める作業である。

案の定、スポーツ省のオフィスへ何度も足を運び、人が集まらない会議を何度も開き、必要書類の提出を何度も促した。

ようやく再設立された時、手続き開始からすでに3ヶ月が経過していた。

そして2015年9月15日、ハッサン氏(ザンジバル教育省教育局長)、ハミスィ氏(ザンジバル情報文化スポーツ省スポーツ評議会書記長)、両氏ご臨席のもとに贈呈式を執り行い、ようやく選手たちと共にグラウンドで使用できることになったのである。

新設されたザンジバル野球連盟には、これ以上ないメンバーが集った。初代会長には初期から活動を共にしているオスマン先生が就任した。

また、活動前からご尽力頂いている島岡強氏(株式会社バラカ代表取締役会長)は、役人らから推挙され名誉会長に就任した。樹木は根っこがしっかりしなければ育たないと言う。

今回、改めて行った連盟設立の作業は、ザンジバル野球界にとって深くて強い根っこづくりだったのだと私は信じている。その土台は出来た。あとは真っすぐ伸びるだけだ(上原 拓)。

聖書には「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」と、岩の上に自分の家を建てた賢い人の話が出てきます。

また、「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」と岩の上にではなく、砂の上に家を建てた人の話も出てきます。昔書かれたこれらの例え話は、現代でも十分通用するものです。

拓先生は先に功を焦るのではなく、雄々しく茂る樹木(ザンジバル野球界)のためにしっかりとした根っこを植えられました。何事も初め(土台作り)が肝心なのです(當山)。

上原 拓 (うえはら たく)

安慶田小学校(安慶田ライオンズ)、安慶田中学校で現石川高校監督の池宮城先生の下で野球に励む。中部商業へ進学し現美里工業高校監督の神谷先生の下でサードとして活躍。日本体育大学へ進み教員免許(体育科)を取得。西原高校、安慶田中学、大平特別校を経て6年前に具志川商業高校へ。2014年6月からジャイカ青年海外協力隊の一員としてアフリカのタンザニア(ザンジバル島で活動)へ赴任。野球を通した様々な活動に励んでいる。

 

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