上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り
上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り その4
2014-12-11
「例えば野球以外の道に進むこともありえる?」
上原氏「僕はやっぱり野球で。向こうでの経験は、野球での指導にも十分活きると思うのですね。まず子供たちに対して説得力がありますよね。『アフリカってこんなんだったぜ!』とか。僕、ひとつ決めていることがあって。向こうの小学生が、教室という建物が無い青空学校の中で、こんなに短い鉛筆を持って、先生の顔を見つめている姿をビデオで見たのです。あの姿って、日本では見れないじゃないですか。ちょうどデジタル一眼レフを購入したので、そういうところも写し残していきたいなと。勉強したい!と思う子供たち、だけどモノが無い、勉強したい!けれども教える先生が居ない。」
「逆にモノは溢れていて、先生は居るのに肝心の生徒たちがやる気を出さない。日本はそういうパターンが少なくないですよね。」
上原氏「もしもそういう場面があったら、『俺はこんなとこを見てきたよ、こんな子供たちがたくさんいたよって』、映像や写真など視覚的に訴えられるものを、経験とともに持ち帰ってこれたらなと。きっと生徒たちの国際的な理解にも繋がるし視野も広がるでしょう。もしかしたらそれを見てやる気を起こす生徒が出てくるかも知れない。僕、福島で英語の訓練と異文化と国際のこと、あと向こうで伝染る可能性のある感染症などを勉強して初めて知ったことがありまして。世界地図ってマジマジと見ることってありますか?」
「恥ずかしながら(苦笑)。あっちがアフリカ大陸、上がヨーロッパくらいなら分かりますが、タンザニアがどの辺、ということも分かりません」
上原氏「世界地図でヨーロッパ見て、アジア見て。中南米見て最後にアフリカを見る。これを5周ほど繰り返すとアフリカだけ他の地域と全然違うことに気が付くのです。」
「それは?」
上原氏「アフリカだけ国境線が直線なのですよ。『何故か分かる?』と問われるのですが答えられない。『アフリカは、ヨーロッパ人が勝手に決めた歴史があるのだよ』と。侵略してここは自分たちの土地ね、と。地図を広げて定規で線を引いて決めた、植民地としてしか見られていなかった。そういう過去と歴史を歩んできたところ、それがアフリカなのだよと。そして、ほとんどのアフリカの国旗に入っているのが赤い色です。それは過去に闘争で流した血なのだと。」
「辛い過去だけど忘れちゃいけないと」
上原氏「国旗を見たときに世界では赤い色ってそう多くはないのですが、アフリカはやたら多い。そういうことも僕は30歳になるまで知らなかった。それを帰ってきて、16歳の高校生たちに少しでも伝えることが出来たら。もしかしたら国連で働く子が出てくるかも知れない。その意味では野球のことだけを考えているわけではなくて、色々な形で還元できたらなと考えています。」
「僕も含めて、知らない人が多いザンジバル島のことについても教えていただけますか」
上原氏「広さは沖縄本島と同じくらいで住んでいた人が百万人ほど。沖縄をイメージすればいいかな。そのザンジバル島に、むかし奴隷市場があったのです。」
16世紀初頭にポルトガル人に征服されたザンジバル島は、その後ポルトガル人を追い出したオマーン人によって奴隷の売買が始まった。長年虐げられてきたが、19世紀に入って奴隷貿易が禁止されたまでは良かったが、今度は工業製品の市場として囲い込む植民地とすることで経済を潤そうとしたヨーロッパの手に落ち、ザンジバル島はドイツ帝国とイギリスによって分割される。そして1964年、流血を覚悟したザンジバル革命を起こしザンジバル人民共和国が樹立。大陸部のタンガニーカと合併したタンガニーカ・ザンジバル連合共和国を結成し、現在のタンザニア連合共和国が成立したのだ。つい百年前まで、集められた奴隷が色んなところに売られていった場所。それが、ヨーロッパとアラブの文化の影響を受けた建築物が連なる街並みのストーン・タウンが世界遺産物件として登録されている。その背景も勉強していつか生徒たちに伝えられたらなと拓先生は語る。
上原氏「普通なら島に国立大学なんてないですよね。僕が行く、ザンジバル・タンザニア国立大学というのは、ひとつのザンジバル政府が運営している。大陸側から船に乗ってザンジバル島へ行くのですが、途中でパスポートを提出しなければならない。連合共和国にはなったけど、『自分たちはザンジバルだ』という誇りと強さが感じられますよね。」
僕らが住む沖縄も、昔の琉球時代に薩摩藩からの侵攻を受けた。その後450年間続いた琉球王国はなくなり、沖縄県となるとその後太平洋戦争へと巻き込まれ、ご存知の通り日本軍とアメリカ軍の上陸戦の中で何十万人という尊い犠牲が出たばかりか、1972年に日本へ復帰するまでアメリカの統治下に置かれ続けた歴史がある。テレビが当たり前に置かれ、蛇口をひねれば安心して飲める水が出るばかりか、中学生でも携帯電話を持つような、先進国としての現在の暮らしが出来るのは、過去の悲しい歴史の上に成り立っているということだけは、決して忘れていけないのではないだろうか。学校へ行くのは面倒くさい、勉強は嫌だ、仕事はきつい。もうそういうことを思うのは止めよう。口にするのはよそう。自分に起こる全てのことについて感謝する誇りと強さを持とう。世界には、僕らが想像もつかない辛さに耐えながらも、笑顔を絶やさない人たちが存在しているのだから。
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