上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り
上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り その13
2015-09-15
第2回タンザニア甲子園
昨年行われた記念すべき第1回大会にはアザニア、キバシラ、サンヤジュウ、ソンゲア、ムワンザの5チームが参加したという。NPO法人アフリカ野球友の会代表・友成晋也氏を運営の軸にして、JICA青年海外協力隊員が各配属先で結成したチームを率いて集ったのだ。
その第2回大会に、6チーム目として参加するために海を渡ったザンジバル。これまで、ラインカーの代わりにペットボトルでラインを引き、網で作ったバックネットを背に練習を重ね、バスで14時間かけて移動してきた。そんな劣悪な環境に負けじと頑張る私を支えてきた多くの同志たちの行動も決して忘れない。
沖縄県高野連の、先生方の呼びかけの協力のもと集まった道具の数々、そして様々な困難を乗り越えて大会開催を実現させるに至った仲間たち。全ての方々に心からの敬意を表すと共に、この場に立ち会えたことへ感謝しつつ第2回タンザニア甲子園の開会式を迎えた。
選手13名のうち10名が、この生まれ育ったザンジバルの地から初めて外の世界へ出たという田舎者たち。緊張感が限界に達したキャッチャーのデコは、開会式の途中で気を失って倒れた。
女子選手のナスラは「ザンジバルに帰りたい」と号泣する。その光景を見ていた他の選手も動揺を隠せないなど、プレー以前に心理的な不安が襲った。
私たちの試合は二日目なので、初日はルールを学びつつ、雰囲気に慣れることからスタートしようとまずは1試合目を観戦した。
「アウトが3つ、これで攻守交替だ」、「フライが上がった、ランナーは走れないぞ」など、プレーを解説しながら観ていると選手たちもだいぶ慣れてきたようで、次第に笑顔も見られるようになった。
こうなるとしめたもの。いつも通りの元気な彼らに戻るやいなや、2試合の観戦だけでは物足りなくなり、「タク、練習しよう‼」と言ってきた。
私も彼らのテンションに従い「よーし、行こう‼」と応えた。彼らは試合前日の興奮を抑えることなく、走り、投げ、叫び、思い切り汗を流した。
こうしてひとしきり終えた私たちは、試合前後の挨拶の仕方を確認しておこうと、初日の全日程が終了したメイングラウンドに立ち挨拶を練習した。
だがこれで彼らの興奮が冷めるはずもなく、「ショートはここだ‼」「おれはライトだ‼」と我先に、それぞれが練習してきたポジションに駆けていった。その光景を見ていたコーチ陣は腹を抱えて笑う一方、心の中で安堵感を覚えた。
大会二日目第一試合、ウォーミングアップする選手たちはだいぶ緊張しているようだった。昨日の勢いを見ていた私は、その余りの変わり様に笑いを浮かべたものだった。試合開始直前、簡単にルールを確認して、「野球を楽しもう」と声を掛けた。
私自身、普段通りを装っていたが、果たして試合になるのかと大きな不安を感じてもいた。しかしいざ始まってみると、ピッチャーはストライクを投げる、守備は皆で守る、バッターは思い切り打つ、ランナーは精一杯走る、それは私の想像以上の内容だった。試合が成り立つどころか、点を取られたら取り返すシーソーゲームを展開したのだ。
フライ一つにしても、ゴロ一つにしても、選手たちはアウトを取る度に両手を上げて喜んだ。それを見ていた観客はそのプレー一つひとつに大きな歓声をあげた。それはベンチのコーチ陣も同様だった。
8対5と3点のリードで迎えた最終回だったが2点を奪われ1点差に詰め寄られる。4番手としてマウンドに上っていたサルームもバテバテであった。
ツーアウト二・三塁、ヒットが出たら逆転されるのは間違いないだろうという場面だった。しかし、交代できるピッチャーも居ないのでベンチは見守るしかなかった。
ムワンザのバッターが打った打球はショート上空へ上がった。遊撃手のアブドゥリに目をやると練習通り「オーライ」の姿勢をとっている。勝利の白球がグラブに収まるまでの間、私は非常に長く感じた。アブドゥリがフライを無事にキャッチして3アウト、ゲームセット。試合になるのだろうかということを危惧していた私の心配を他所に、彼らは見事勝利してしまったのだ!
第一試合
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|
ムワンザ | 0 | 0 | 2 | 3 | 2 | 7 |
ザンジバル | 0 | 0 | 3 | 5 | x | 8 |
選手たちは、まるで全国大会で優勝したかのような歓喜でもってザンジバルに伝わる歌を歌い、伝統的な踊りを舞った。
しかし、その後で彼らは相手チームと審判の元に駆け寄り、敬意を表すことも忘れなかった。技術や勝ち負けよりも大切なことを感じてくれていたのだろう。
主将のカリムが試合後のミーティングで「相手と審判が居てくれたから僕らは試合ができた」と語ったその言葉が、私は何よりも嬉しかった(上原 拓)。
普段から仲間や指導者だけでなく対戦相手や審判員、大会役員の方々など、たくさんの周りの人に支えられているからこそ、グラウンドで全力を尽くせる。
8月18日付けの朝日新聞に掲載された興南高校仲響生君の記事を紹介しよう。
奈良県南部の山深い人口千人ほどの村で生まれた仲君。中学に野球部はなく、宇陀市にあるチームで練習をすることになったが、その道のりは80キロ以上もあったという。
我喜屋監督のもとで野球をしたいという強い気持ちを持って沖縄へ来た仲君はこの夏、甲子園出場の夢を叶えたばかりでなくベスト8の成績を残した。
その彼が宛てた母へのメッセージは「ありがとう。送り出してくれたから、こんなに素晴らしい仲間に出会えたよ」。
ずっと続く人生のスコアボード(我喜屋監督)には、困難や失敗もある。でも前を向いて諦めない姿勢でいれば、隠されている感動に出会えるということを、僕たちはこの拓先生の便りと野球から学ぶことが出来る(當山)。
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