上原 拓先生のアフリカ(タンザニア・サンジバル)便り その15

2015-11-15

具志川商業高校野球部で部長などを歴任していた上原拓先生。現在はアフリカタンザニアの地でJICA(ジャイカ)青年海外協力隊の一員として、野球を通した様々な活動に励んでいます。私たちには想像もつかない遠い国ではどのようなことが起きているのでしょうか。彼の意思を尊重しておきなわ野球大好きが、彼の活動報告や現地の写真などを報告していきます。

目標の大切さ

ダルエスサラームでの試合を終え、ザンジバルに戻ってきた。

本土で勝って凱旋したとは言っても、ここではやはりマイナースポーツの野球である。年に一回の野球大会が開催されたことはニュース番組や新聞等で報道されたものの、それに関心を寄せる人々は少なく、地域のサッカーチームが行なった練習試合の方が盛り上がったようだ。そんな環境に寂しさを感じながらも私たちは練習を続けた。

試合終了後はあんなにも歓喜に満ちていた選手たちだったが、ザンジバルに戻ってきてからどこか覇気がなく、淡々と練習をこなしているだけだった。

週に2~3回しか無い練習を交互に休んだり、体調不良を訴えて見学したりする選手も増えた。次回大会は来年にしか開催されないため、一年後という期間の長さに現実的な目標を見出せていないのだ。

沖縄で育った私にはこれまでこのような経験は無く、少年野球から高校野球まで年に7~8回くらいの大会があったように記憶している。それによって気持ちを切り替えるタイミングを得て、練習へのモチベーションは保たれた。改めて自分の育ってきた環境に有難みを感じたものだ。

それと同時に一つの決意を固めた。それは、彼らの練習成果を発表できる機会としてザンジバル野球大会を開催するということだ。

まず、その旨を選手たちに話し、チームを二つに分けることを提案した。「試合ができる」この目標が出来ただけで選手たちの姿勢は変わった。この大会開催までの道のりについてはまた追って報告したい。

メディアの力

そんなある日、オスマン先生が「今日はテレビカメラが来るぞ、そして夜はスタジオに行く」と嬉しそうに言った。

ザンジバルのテレビ普及率の低さを知っていた私は「へぇー」とだけ応えた。オスマン先生の言う通り、カメラが来て練習風景を撮影していた。それを夜の生放送スポーツ番組で流すのだと言う。

スタジオに行くと言っていたのはこのことだったのだ。生放送とは言っても何名が見ているのか、どれほどの影響力があるかも分からなかった。とりあえず、スタジオ入りの時間だけ確認して練習を終えた。

夜、スタジオに入ったが打ち合わせ等も一切なく放送が始まろうとしている。司会者はテーブルの下で携帯電話を触っている。カメラマンはパンを食べ、映像管理のために座っている人たちはパソコンでトランプゲームをしていた。

実際にテレビ放送されているのかどうかもいよいよ怪しい。前半の30分は野球のルールや道具の説明をした。

「これはグローブと言って…、このバットでボールを打ちます」「一塁から走り回って、本塁を踏めば1点です」という具合だ。私のスワヒリ語で足りない部分を沢谷コーチ、オスマン先生が補足した。

そして後半の30分は視聴者からの質問タイム。私たちはザンジバル住民の数名にだけでも野球のことを伝えられたらいいかなと気軽に考えていたが、それはとんでもなかった。

「海側の田舎にチームは作れませんか?」

「野球をやるとどんな良いことがありますか?」

「女子ですができますか?」

「28歳ですが今から始められますか?」

「隣のペンバ島にも教えに来てもらえませんか?」

このような視聴者からの電話が、鳴り止むことはなかった。

まさかの大反響に私たちが一番驚いた。グラウンドで地道に活動を続けることを軸にして、時にはこのようなメディアの力を借りることも、競技普及の面から言えば非常に良い手なのかもしれなかった。

翌日、グラウンドには大勢のギャラリーが集まった。その中に、ママに連れられて歩く7歳のハッサン君がいた。

彼は「野球をやってみたい。今日が楽しみで眠れなかったんだ」と照れくさそうに話してくれた。野球の練習に励むお兄ちゃんたちを見つめるハッサン君の目は、とても輝いていた(上原 拓)。

僕らメディアの役割のひとつに、読者や視聴者にいま起こっている事実を伝えることがあります。この拓先生の便りを続けている理由も、遠い国で起こっていることを知らせることと、拓先生をはじめ多くの青年海外協力隊の方々の尊い活動を知ってもらいたいからでもあります。しかし、おきなわ野球大好きが一番伝えたいのは、この記事を読んでくれた読者の方々が「全てに感謝しよう」と、改めて思ってくれることなのです。

ザンジバルで野球活動(もちろんその他の活動も含め)をする指導者は、その環境に言い訳をせず、その苦労すらもプラスに変えていきます。また、グラウンドに来るまでの道のりが険しくても、家のお手伝いが終わってクタクタになったあとでも、文句ひとつ言わず(どうやら今回はあったようですが~苦笑)、「大好きな野球をするために」向かっているのです。まさしく「逆境は逃げれば逃げるほど追い掛けてくるが、立ち向かえば乗り越えられる。自分は恵まれていると思えば、幸せな気持ちになれる」(我喜屋監督著書「逆境を生き抜く力」より)のです(當山)。

上原 拓 (うえはら たく)

安慶田小学校(安慶田ライオンズ)、安慶田中学校で現石川高校監督の池宮城先生の下で野球に励む。中部商業へ進学し現美里工業高校監督の神谷先生の下でサードとして活躍。日本体育大学へ進み教員免許(体育科)を取得。西原高校、安慶田中学、大平特別校を経て6年前に具志川商業高校へ。今年の6月からアフリカのタンザニアへ赴任してジャイカの青年海外協力隊の一員として活動している。

 

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