上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り

上原拓先生のアフリカ(タンザニア・ザンジバル)便り その8

2015-04-15

前具志川商野球部で部長などを歴任していた上原拓先生。現在はアフリカのタンザニアの地でJICA(ジャイカ)青年海外協力隊員の一員として様々な活動に励んでいます。私たちには想像もつかない遠い国のではどんなことが起きているのか?彼の意思を尊重し、野球大好きが彼の活動や言葉、そして現地の写真などを随時報告していきます。

オスマン先生との出逢い

ドレで野球の練習を開始して一ヶ月が過ぎようとしている頃、一人のおじさんが練習を見に来るようになった。ウォームアップからキャッチボール、捕球練習、打撃練習、ルールの勉強など、最初から最後までグラウンドの隅っこで見学している。野球に興味を持って見てくれているのだろうと思っていたが、まさか学校の教師だとは、そのときの私は思いも寄らなかった。

ある日の練習終了後、そのおじさんが話しかけてきた。「ミスタータクゥ?私の名前はオスマン。マナクェレクェセコンダリースクールの体育教師です。うちの子どもたちにもベースボールを教えてくれませんか?」これは願ってもないチャンスだと思った私は、「もちろん!いつから始めましょうか」と即答した。これがオスマン先生との出逢いである。

話を聞いていくと、すでに男女合わせて20名近くの子どもたちが野球に興味を示しているのだと言う。どんどん話は進み、その翌週から練習を開始することになった。その初日、高まる胸の鼓動を感じつつ、オスマン先生のバイクの後ろに跨った私は、みんなが待つグラウンドへと向かった。Mwana Kwelekwe C Sekondari Sukuli (マナクェレクェセコンダリースクール)のグラウンドへ着くと、子どもたちが整列して私を待っていた。互いに自己紹介を終え、ドレと同じようにボールの握り方とグラブの使い方から教えて、次にキャッチボールをしてみた。やはり5mくらいが精一杯だったが、初日にしては上出来だった。

そして何よりも嬉しかったのは、オスマン先生自らが進んで、キャッチボールをしている子どもたちの間に入って教えている姿だった。ドレの練習を見て、学んだことを自分のものにしていた彼は、すでにコーチとして指導していたのだ。野球のプレー経験が無く、試合も見たことがない、ましてやルールも分からないというコーチは、世界中のどんな競技を探してもなかなか見つからないだろう。だが彼には、誰にも負けない熱意があった。「この子どもたちと、ザンジバルベースボールの歴史をスタートさせたい!」。そんな彼の想いは十分、私にも伝わってきた。

ドレの練習を通して、技術を伝えたりモチベーションを維持させたりすることの難しさを痛感していた私は、ある一つの図式を思い浮かべた。それは、ルールや技術については主に私が教えるが、細かい表現や日常生活での指導はオスマン先生に頼むというものである。グラウンドだけでなく、学校内でも生活指導できる彼の立場と、何よりその熱意は、チームのコーチとしてまさに理想的だった。その日の練習終了後、お互い協力し合ってザンジバル野球を発展させていこうとオスマン先生と語り合った。こうして、ドレとマナクェレクェ、二つの地域での私の普及活動が始まったのである(上原 拓)。

ある中学生が、それまで学校に無かった水泳部をつくって欲しいと校長先生に手紙を出した。水泳部が無かったということは、生徒に教え付き添ってくれる人物がいなかったことを表している。ことは簡単に運ばなかったのかも知れないが、その少年の思いが、校長と学校を動かしていったのだ。

「困難そうに見える相手でも、熱意を持って依頼すれば動かせます。同時に、何事も一生懸命考え、熱意を持って行動すれば、大人社会に対しても変化を起こせると知りました。この手紙の成功体験から得た考え方は、私の精神的な柱のひとつとなり、のちの起業にも繋がったのです。」

ソーシャル・ネット・ワーキング・サービスmixiの創業者である笠原健治氏の言葉である。立場は違えど野球を知らないオスマン先生が、拓先生のコーチングの一部始終を見て学び、自分の学校の子供たちに教えていた姿は、ザンジバルベースボールの歴史を創っていくのだという熱意そのものであり、またそうでなければ、20名の子供たちも野球に興味を示さなかっただろう。

これまでの生活を一旦止め、野球のやの字も無かったザンジバルに単身乗り込んでいった拓先生を支えたのも、彼自身の熱意だった。熱意が人を動かし、新たな歴史が創られていくのだ。

上原 拓 (うえはら たく)

安慶田小学校(安慶田ライオンズ)、安慶田中学校で現石川高校監督の池宮城先生の下で野球に励む。中部商業へ進学し現美里工業高校監督の神谷先生の下でサードとして活躍。日本体育大学へ進み教員免許(体育科)を取得。西原高校、安慶田中学、大平特別校を経て6年前に具志川商業高校へ。今年の6月からアフリカのタンザニアへ赴任してジャイカの青年海外協力隊の一員として活動している。

 

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