宜野座貴大(宜野座高校

2016-11-15

2001年、21世紀枠にて初めて甲子園へ出場した宜野座高校。その2年後、秋の九州地区高校野球大会で準優勝し堂々と2度目のセンバツの地を踏んだ。その近江高校(滋賀県)との試合でマウンドを守った宜野座貴大氏と宜野座ナインのレジェンドを追ってみた。

新人中央大会優勝

小学校5年からマウンドに上り、金武中学2年の春、海邦銀行杯にて県大会準優勝を成し遂げた当時の宜野座貴大少年には1つの目標があった。「宜野座高校を甲子園に出場させるのは自分だ!と思っていたんですね」。まだ甲子園を経験したことがない当時の宜野座高校への進学を、ここで既に決めていた。「でも、中学卒業前に21世紀枠で出場が決まってしまって」と笑ったが、ベスト4に進んだ先輩たちを見て、より宜野座高校愛は高まっていった。

宜野座高校でも練習試合などで投げさせてもらっていた宜野座貴大氏の前には、偉大な先輩がいた。佐久本匠(現ホンダ熊本)氏だ。第84回全国高等学校野球選手権沖縄大会(以下第84回の夏)3回戦で宜野座高校は沖縄尚学高校と対戦。佐久本氏は4回から登板も7失点を喫してしまいチームも敗れた。

しかし、その悔しさがナインを強くする。新チームとして船出した宜野座高校は第29回沖縄県高校野球新人大会(以下新人大会)に出場すると、初戦の普天間高校戦を4対0で勝利すると次戦の沖縄尚学高校にも6対3とリベンジを果たす。準決勝の八重山戦も4対1で退けると、中部商業高校との決勝では5対0と快勝し見事優勝した。

この4試合の佐久本氏の防御率は0.90、奪三振率は11.4と圧巻の数値を残す。2試合でリリーフ登板した宜野座貴大氏も、6イニングを投げて5奪三振無失点と危なげなかった。照屋吐夢氏(現沖縄電力)ら6人が前チームからのレギュラーとして残る宜野座高校は、レジェンド・オブ・沖縄の秋と言っても良いほどの凄い試合を繰り広げていった。

悔しさが自分を変えた秋

「佐久本さんの後を受けて投げたのですが大量失点をしてしまいました」。第52回沖縄県高校野球秋季大会の初戦で宜野座高校は那覇西高校と対戦。先発した佐久本氏が3回で降り、宜野座貴大氏が登板した。4、5回は無失点で切り抜けたが6回に5失点を喫してしまった。「申し訳なくて。でも、その悔しさがより走り込みなどを自分に課すこととなり、結果的にその後の自分のピッチングに繋がっていったと思います」。

もしもこの試合で、自分にあるはずの課題が露呈せず、そのまま過信となったままだったなら。それがもっと接する試合での登板で、取り返しのつかないことになっていたら。そう思うと、大量リードの初戦で良かったのかなと宜野座貴大氏は振り返った。

伝説の1イニング3アーチ!

宜野座高校は3回戦の名護商業高校戦を6回コールド、準々決勝の本部戦を6対0と快勝し準決勝へ進む。そこで立ちはだかったのが、スラッガー伊志嶺忠(現東北楽天ゴールデンイーグルス)氏率いる北谷高校だった。第84回の夏、2回戦で佐久本氏と伊志嶺氏は対戦。

6対5で辛くも勝利していたが、この試合でも対峙した両雄は、やはり稀に見る熱戦を展開していく。宜野座高校が先制した直後の4回裏、伊志嶺氏が逆転の2ランホームランを放つ。その後、チーム打力に勝る宜野座高校が7回に4点を奪い突き放したものの、北谷高校は8回に1点、9回に2点を奪い同点に追いついたのだ。しかし延長10回表、前人未到のレジェンドが起こった。

まずは照屋氏がライトスタンドへアーチを掛けると、佐久本氏の打球もライトスタンドへ。さらに4番末石広樹氏がとどめの一発を同じライトへ放ったのだ。「1イニング3連発は、今でも破られていない記録だと思いますよ」と、宜野座貴大氏が振り返る伝説の1イニングとなった。決勝の南部商業高校戦では2回に逆転を許したが、そこから佐久本氏をリリーフした宜野座貴大氏が、7回と1/3イニングを自責点3で抑えるロングリリーフ。打っては20安打で18得点を挙げ、新人大会に続く2大会連続制覇を成し遂げたのだった。

九州地区高校野球大会準優勝でセンバツ切符

第111回九州地区高校野球大会(以下九州大会)に出場した宜野座高校は初戦、熊本の名門済々黌を9対1の7回コールドで下すと長崎日大との戦いでは9回に突き放し勝利した。

センバツ切符を確実に手中に収めるためにも、下手な試合は出来ない準決勝だが、彼らの勢いはさらに増していく。2回、主将古堅隼平氏の2ランホームランで先制した宜野座高校。9回にも照屋氏の右中間ランニングホームランで加点するなど6点をボードに刻む。

9回に九州大会初登板となる宜野座貴大氏が登板。一死満塁のピンチを招くが、最少失点のみで切り抜けて秋の九州では県勢5校目となる決勝進出を決めた。その後決勝では延岡学園の上田投手を捕えきれず1点差で惜敗したものの、2年前に全国選抜高等学校野球大会へ出場した先輩たちを越える堂々の準優勝。センバツ切符も確実に手中に収めたが、暗雲が立ち込めるとはこのときは誰も思わなかった。

佐久本氏の肘に異変

九州から帰ってきた宜野座貴大氏らは一年生中央大会へ出場。投げては防御率1.29、打っては打率.444の宜野座貴大氏の活躍もあり、宜野座高校は新人大会から続く3大会を制覇した。

特に緑間、蔵當ら好選手が揃う具志川商業高校との決勝で無四球完封したピッチングは、宜野座貴大氏に大きな自信を植えることとなった。年が明けた春。センバツ切符を手にした宜野座高校のグラウンドには大勢のマスコミが駆けつけた。「今でも覚えています」。佐久本氏の隣でピッチング練習をしていた宜野座貴大氏は、「ヤバイかな」と耳元で囁かれた。新人大会から投げ続け、九州大会でも4試合33イニングを投げた疲労は、エースの肘に軋みを与えていた。

「でも、そこで練習を止めておけば甲子園でも投げられたのかも知れません。しかしマスコミの手前、投げ続けなければいけないとの思いがあったのかも」。その結果、佐久本氏の肘が遂に悲鳴を上げてしまった。「このチームは匠とお前がマウンドを守らねば成り立たないと奥濱先生は仰っていた」。その一枚が断たれた以上、宜野座貴大氏はそのバトンを継ぐ決意を固めた。

魔の1イニング。追い上げ及ばす

中学時代、「宜野座高校を初めて甲子園に出場させるのはオレだ!」と心に秘めていた宜野座貴大氏。二度目のセンバツではあったが宜野座貴大氏にとっては初めての聖地だ。「でも、興奮を覚えるとか、ワクワクするとかいった感情はすぐに消えました」。

憧れの佐久本氏が投げられない以上、自分がやらねばならないという責任感が宜野座貴大氏を包んでいた。「宜野座が宜野座を救う」。

新聞は同じ名を繋いで報道していたがその近江との試合で、甲子園の魔物が襲いかかったのは宜野座高校側であった。立ち上がりの1回2回と三者凡退に斬った宜野座貴大氏だったが3回、突如制球が乱れ一死満塁とピンチを招く。

ここで痛恨の押し出し四球を与えると次打者に2点タイムリーを浴びる。さらに犠牲フライであっという間に4点を失ってしまったのだ。

「制球の乱れやエラーなどもあったが、それ以外のイニングは良かっただけに一層悔みました」。その後はセカンドで出場した佐久本氏からの励ましもあり、立ち直った宜野座貴大氏はそれ以降相手打線をゼロに抑えていく。すると味方打線は7回、久志大致のレフト前2点タイムリーで1点差に迫るなど、流れを引き寄せていく。9回、二死無走者となったがここから二者連続ヒットで一・三塁とするなど、宜野座高校は最後まで諦めず近江高校と互角以上の戦いを見せたが、あと1点が遠かった。

「余談ですが、選抜、春季九州大会、選手権沖縄大会と先輩たちと戦った最後の公式戦の負けた試合全て、何故か僕が最後の打者となってしまい、今でも酒の肴としてイジられています(笑)」。相手の5安打を上回る9安打を放つなど最後まで頑張った宜野座ナインには、アルプスを始め多くの方からの拍手が鳴り止まなかった試合。2年前のベスト4には遠く及ばないが、レジェンドと呼ぶに相応しい甲子園への道のりと、見事なゲームであった。(當山)

第75回全国選抜高等学校野球大会 2003/03/26

 1 2 3 4 5 6 7 8 9
宜野座0 0 0 0 1 0 2 0 0 3
近江(滋賀県)0 0 4 0 0 0 0 0 x 4
(宜) 宜野座−末石
(近) 小原−那須

Profile

宜野座貴大氏

1986年8月2日金武町生まれ。金武中学、宜野座高校、国際武道大卒。エースとなった新人大会で優勝。秋ベスト8。春季県大会では5試合43イニングを投げ防御率0.84。準決勝の沖縄水産戦で13奪三振を記録するなどチームを優勝へ導く。春の九州大会ベスト4(防御率1.80)。3年生最後の夏では3試合連続二桁奪三振をマーク。防御率1.16、奪三振率は驚異の11.9も準決勝で涙を飲んだ。30歳独身。

 

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