1975年、夏の選手権に初出場した石川高校の右翼手

伊波幸雄

2015-06-01

1975年(昭和50年)は、沖縄と宮崎の代表が夏の甲子園出場を争った南九州大会が廃止され、沖縄が1県1校の代表になった最初の年。その夏の甲子園出場を射止めたのが、好投手糸数勝彦(太平洋クラブライオンズ=西武ライオンズ)を擁する石川高校。石川は一回戦で新潟商業に4対3で勝利。二回戦では静岡の名門・浜松商業と対戦。5対4の1点リードで迎えた9回裏、大会史上初となった逆点サヨナラ本塁打を喫し、勝利目前で涙をのんだ。

二回戦の試合終盤、両校の校旗が降ろされることに気付いた

甲子園球場。一回戦のときは気付かなかったシーンに、二回戦では伊波氏は気付いた。

「7回だったか8回だったか、守備に就くときに、両校の校旗が降ろされるのが見えた」。

伊波氏は、ライトのポジションに向かっている途中でスコアボードに掲げられている両校の校旗が、いったん降ろされることに気がついた。

勝利校の校歌斉唱のときの校旗掲揚の準備のためだ。

「一回戦では、そのことに気づかなかった。余裕がなかったのか、あがっていたんじゃないかな。

でも、そのときは見えたんだ。旗が降りるのが」。甲子園に来て2試合目、気持ちにも余裕も出ていた。

伊波氏が、その光景に気が付いた時点で石川高校は浜松商業を相手に、1点をリードして勝っていた。「あと一回校歌が聴けるなあと思った」。

勝てば、次は天理高校との対戦と決まっていた。

「勝つ雰囲気だったので、あの有名校の天理と試合が出来るな」と考えたりもしていたという。

ところが「まさか、まさかの」と伊波氏が語る展開が9回裏に待っていた。

大会史上初の逆点サヨナラ本塁打を喫す

2回戦の静岡県代表・浜松商業戦。試合は大詰めの9回裏2アウト。

5対4と石川が1点リードの浜松商業の攻撃。一打同点のランナーを二塁に背負って、マウンド上の糸数は浜松商業の3番・高林と対峙していた。

そして、ワンボールから投じた二球目を左打席の高林が思い切り振り抜くと、打球はライトを守る伊波氏の頭上へ。

「逆風だったし、追っているときは、まさか入ると思わなかった。でもすごいライナーで。フェンスについて、頭が真っ白というか」。

逆風を突いたライナーの打球は無情にもラッキゾーンに飛び込んだ。

大会史上初めての逆転サヨナラ本塁打が生まれた瞬間だった。6対5、無情にも勝利は石川高校の目の前から去っていった。

この年は、春のセンバツでも豊見城高校が東海大相模に9回2アウトから逆点サヨナラ負けを喫しており、沖縄勢にとって春夏続けての魔の9回裏となった。

逆点サヨナラ本塁打を呼んだエラー

浜松商業の9回裏の攻撃は先頭打者のエラーによる出塁で始まった。

そのエラーの主が伊波氏だった。セカンドとライトの間に上がったフライ。

「つっこんで、つっこんで、土手にあたって、はじいてしまった」。

ポテンヒットになりそうな打球に懸命にダッシュして捕りにいった伊波氏だったが、地面に近い位置で捕り損ねた。

「ほんとにまさか、まさかの(サヨナラ劇)。

ノーアウトで私が落として先頭打者を出して、送りバントで2塁に、次はサードフライで2アウト。

2アウト二塁で(ゲームセットまで)あと一人、そしたらライトラッキーゾーンに史上初の逆点サヨナラホームラン」と9回裏の逆点サヨナラまでの出来事をシナリオのように伊波氏は話した。

沖縄に戻って、周りに責められて

「例えば、これが2アウト二塁で私のところにボールが飛んできて、それをトンネルだったら、すごい悔やまれると思う。

でも2アウトをとってからのホームランだから、私自身としては割り切るというか、そんなに何も思っていなかった。

でも、沖縄に帰ってきてから話を聞いたら、家族がいろいろ言われて大変だったと」。

兄弟や姉の旦那さんは、周りの人から「いったー(あなた方の)うっとぐぁが(弟が)、ひんがちぇくと(逃がすから)まきたんどー(負けたんだよ)」などと責められた。

伊波氏自身も親戚の集まりなどに行くと「やーが、ひんがちぇーくとぃ(お前が逃がすから)」と責められたという。

「あのときはすごかった。でも、終わったことだし、どうしようもなかった。

あとは、こういう話になったら、私が逃がした伊波ですと言うようになったよ」と今では懐かし出来事となった。

雷雨で再試合となった県大会決勝

石川高校が、甲子園出場を決めた県大会の決勝戦は、雷雨のため再試合となったゲームだった。

最初の試合は0対0のまま、6回に雷雨のためノーゲームとなった。

決勝の相手は、準決勝で春の選抜甲子園ベスト8の豊見城を4対3で下したコザ。

石川は、この試合、コザの左腕大宜見にヒット1本に抑えられていた。試合の中止後、すぐさま学校に戻り、武道場でテニスボールを使って大宜見の変化球対策を図った。

これが功を奏し、翌日の再試合では8対1と大勝で勝利を収め甲子園への切符を掴んだ。

雷雨でノーゲームにならなければ、豊見城を倒したコザの方に勢いがあったかもしれない。

「再試合になったのが良かった」と伊波氏が語るように、石川にとって恵みの雨だったに違いない。

(小見出し)

甲子園から持ち帰った、嬉しくも淡い思い出

大阪で、石川高校の宿舎に一人の女子高校生が訪ねてきた。

話をした記憶はないが、みんなと一緒に写真を撮った。

大会が終わって沖縄に戻ったあとに、その女子生徒から甲子園での試合のスコアシートにゲームへの感想が添えられ伊波氏宛てに送られてきた。

伊波氏が甲子園で唯一放ったヒット、新潟商業戦での三塁強襲ヒットにも「素晴らしい当たりでした」とコメントされていた。

そして、彼女の写真と文章が掲載された千葉の新聞の高校野球特集号も同封されていた。

それを読んで、千葉の高校に通っていることを知った。

沖縄では落球のことばかり取りざたされていた伊波氏にとって、甲子園から持ち帰ってきた嬉しい思いだった。

しかし、1度目は返事を書いたが、2度目の手紙には返事を返すことができなかった。

「字も汚かったし、どんなことを書いていいのか分からなくて」。

純朴な思いは淡いままに、はかなく消えていった。これも甲子園のもう一つの思い出だ。

第57回全国高校野球選手権大会

1回戦

 1 2 3 4 5 6 7 8 9
石 川0 0 0 1 2 1 0 0 0 4
新潟商2 1 0 0 0 0 0 0 0 3
(石) 糸数 - 伊芸
(新) 青木 - 平井、吉田
三塁打 : 泉川、久高(石)
ニ塁打 : 泉川、糸数(石)、青木(新)

2回戦

 1 2 3 4 5 6 7 8 9
石川 1 2 0 1 0 0 1 0 0 5
浜松商1 0 0 0 0 1 2 0 2x 6
(石) 糸数 - 伊芸
(浜) 細田、鈴木 - 上村
本塁打 : 高林(浜)
ニ塁打 : 久高(石)、高林(浜)

Profile

伊波幸雄

石川中学校から石川高校へ進学。卒業後は軟式野球チームに所属。
40代に所属した石川アニマルズは、成年の部(40才以上のクラス)で県大会を2度制覇し、九州大会へ出場した。
現在も40代以上のチームに所属し、リーグ戦に参加している。

 

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