投手を除くレギュラー8人が100m11秒台。驚異の俊足チームで春夏甲子園出場。

比嘉靖さん

2014-12-01

1965年生まれ。南風原中から興南高校へ入学。卒業後は沖縄大学で野球を続ける。20代の頃は、当時、軟式野球の強豪だった奥武山スポーツに所属。ニッサングリーンカップ沖縄県予選で優勝するなど、全国大会にも出場した。現在も同級生らとチームを結成し、野球を楽しんでいる。

今から31年前、1983年の興南は春夏甲子園出場を果した。バッテリーは仲田幸司(元阪神・ロッテ)、仲田秀司(元西武)、トップバッターを平田望(法政大―新日本石油)が務めるなどスーパースター軍団。エースの仲田幸司を除くレギュラー8人が100mを11秒台で走るという驚異の俊足チームで、沖縄初の甲子園優勝も狙える戦力と評価されていた。そのチームで2番打者、外野手として活躍した比嘉靖氏の高校時代のレジェンド。

スーパースター軍団と称されたチームでつかんだレギュラー

「まわりは皆スーパースターが集まっていて、レギュラーをとるために必死だった。早朝練習はもちろんだけど、練習が終わってから自主トレをして、それから自転車で南風原の自宅まで帰っていた」と比嘉氏。もともと足と守備には自信があったが、バッティングが他の凄いメンバーと比べると見劣りすると自覚。その中で生き残りをかけ、右打ちだった比嘉氏は足を活かすために高校入学後に左打ちに取り組みスイッチヒッターに転向した。手から血が出ているのも気づかないほど夢中でバットを振り、そして掴んだレギュラーの座。俊足の2番打者は比屋根監督に言われた「足だけはスランプがない」という言葉を胸にセフティバントの練習をひたすらやった。「サードのライン上のこの辺に落とせばいい。ドラックバントでこの辺にころがせば生きると、そうとう練習した」。練習の成果が試合で活かされた。

レギュラー9人中、8人が11秒台

今だかつて、そのチーム以外に存在しないと思われる快速チーム。なんと投手以外のレギュラー全員が100mを11台で走るという俊足軍団でもあった。驚くのは、ライト前ヒットを放ったあと右翼手がちょっとしたファンブルをすると2塁を陥れるという練習ばかりさせられていたという話。実際に甲子園でも1番平田がライトへのゴロのヒットでセカンドまで行ったという。打てないときでも、叩きつけるバッティングやセフティバントを駆使して出塁する。足攻めで相手をかき回し、ほんろうし、ときにはエラーを誘発させた。プロ野球チームにも社会人チームにも存在しないオール11秒台という俊足チームが30年前の沖縄にあった。

勝つのが当たり前、負ける気のしなかったチーム

同期の興南のメンバーは県内各地の中学校から有望選手が30名ほど集まってきていた。その中からレギュラーを掴んだ選手たちが試合に臨むわけだから「勝つのが当たり前。負ける気がしなかった。」という。 秋の県大会で順当に優勝をすると九州大会も下馬評とおりに優勝。センバツの切符を手にした。比嘉氏も県予選から九州大会を通じて打率5割を超える活躍。センバツ出場選手の打率ランキングの上位にも名を連ねた。その九州大会で比嘉氏が自身のプレーで最も記憶に残っているのが、準々決勝の佐世保工業戦で香田投手(元巨人)から放った同点打。1点ビハインドの場面で10球以上粘ってタイムリーヒット。甲子園を含めて当時の試合の内容をよく覚えていないという比嘉氏だが、センバツへの出場が濃厚となるベスト4がかかった大事な試合での同点打だけははっきり覚えている。

優勝候補に挙げられて臨んだ甲子園(センバツ)

1983年は春、夏とも甲子園が多いに盛り上がった年だ。センバツ大会では、前年の夏に全国制覇を果した池田高校が出場。蔦監督率いる池田の人気はすさまじく学校にも多くのファンが押し寄せていた。この春は、阿波の金太郎こと水野(のちに巨人入り)がエースで4番。チーム打率も参加校中で№1とやまびこ打線は健在で、夏春連続優勝へ高校野球ファンの注目を一身に浴びていた。その池田が選抜の優勝候補筆頭で、それに次ぐチームとして横浜商、上宮、広島商とともに挙げられたのが、左腕エース仲田幸を中心に九州大会を制し「どこにも負ける要素がない」と言われた興南だった。しかし、興南は一回戦でいきなり上宮と対戦することとなる。試合は大方の予想通り接戦。興南は1-0と1点リードで9回裏一死までこぎつけるが、ここで本塁打を浴び同点に。 そして10回裏、一死1、3塁のピンチに併殺崩れで得点を許しサヨナラ負け。「センバツは緊張していて、開会式や試合のことをあまりよく覚えていない」という比嘉氏。沖縄勢初の優勝の夢は1回戦で消え去った。

招待試合でセンバツ優勝校の池田に完封勝ち、自信をつけ夏も甲子園出場

県予選の対抗馬は比嘉良智(ロッテ1位指名)を擁する沖縄水産。興南は決勝で沖水を3対1で下し4年連続の夏の甲子園出場を決めた。「連続出場プレッシャーはなかった。皆負ける気がしなかった。水産がどうのこうのじゃなくて、夏も甲子園に行くんだという考えしかなかった。」という。その時の興南は招待試合ではセンバツ優勝校の池田に5対0で完勝。北海道、横浜、大阪への遠征試合ではPL学園も含めて全勝。九産大など大学生との試合もこなしていた。「池田にもPLにも勝っている。大学生との練習試合など上のレベルで野球をしていたので、そのへん勝てるだろうっていう感覚だった」と当時を振り返る。池田にとっては新チーム結成以来、初の完封負けだった。

春に続き優勝候補に名を連ねたが二回戦敗退(選手権)

その夏は、PL学園が桑田、清原の1年生コンビの活躍で優勝した年。史上初の3連覇を狙った池田を始め、強豪校が揃い、好投手も多く出場し、レベルの高い、盛り上がりをみせた大会だった。その好投手の一人に挙げられた仲田幸司と俊足揃いのシャープな打線で、「投攻守走と揃った興南の戦力はトップクラス」と高く評価されていた。戦前予想では、優勝候補筆頭は池田。そして、池田とともに箕島、横浜商が大会3強、紙一重で中京、高知商、興南が続き、それを追う広島商、この7校がビッグセブンとして優勝候補に挙げられていた。そのような中、興南は一回戦で長野商と対戦。苦戦を強いられるが延長10回サヨナラ勝ちを収めた。続く二回戦はビッグセブンのひとつ広島商との対戦となった。またしても接戦となったゲームだったが同点の8回裏、決勝点を奪われ4対3で敗退した。沖縄から初めての全国制覇を狙えるチームといわれたが、甲子園では春夏ともに強豪相手に接戦で敗れ上位進出を果たせなかった。栽監督をして「前代未聞の強さだ」と言わしめたレジェンドたちの夢は27年後にその後輩たちが叶えることとなる。

第55回記念選抜高等学校野球大会 一回戦

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
興南0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1
上宮0 0 0 0 0 0 0 0 1 1x 2

第65回全国高等学校野球選手権大会 一回戦

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
長野商0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1
興南0 0 0 0 0 0 1 0 0 1x 2

第65回全国高等学校野球選手権大会 二回戦

 1 2 3 4 5 6 7 8 9
興南0 0 1 0 0 2 0 0 0 3
広島商0 0 0 1 0 2 0 1 x 4
興南  甲子園 

 

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レジェンドオブ甲子園:投手を除くレギュラー8人が100m11秒台。驚異の俊足チームで春夏甲子園出場。 トップに戻る