手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条 (第16回)

手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条

2017-01-15

甲子園への黄金の5ケ条

  • 1) 頭に思い描いた夢を文字や絵などの形にする
  • 2) 夢がかなった時のかっこいい自分の姿を想像する
  • 3) ファンをいっぱい増やす(挨拶の達人になる)
  • 4) 履物をきちんとそろえる。(コロコロ大作戦)
  • 5) 必ず声に出してありがとうを伝える(ありがとう大作戦)

10000回やったら神業

4人の息子全員が甲子園出場を果たした手留照家。息子たちが幼い頃、手留照は野球がうまくなる方法として壁当てを何度もやることを勧めた。

「ラッキーだったのは、家の近くに壁当てができるくらいの壁があったこと。とにかく壁当てを何回もやれと、しょっちゅうさせていた」。

壁に向かってボールを投げて、跳ね返ってきたボールを捕球する。息子たちは、小学生の間、ずっとやっていた。

「100回くらい壁当てやったら ゴロとかショートバウンド捕るのも得意技になるよ。得意技になったらいいな。でもこれを1000回やったら必殺技になるよ。

分かるかな、必殺技って言ったら普通の人よりすごいんだよ。ショートバウンドを捕るのが得意技な人はあちこちにいっぱいいるけど、必殺技の人はあまりいないんだよ。

1000回くらいやって必殺技になったら、どんなショートバウンドが来ても捕れるなるんだよ。そして、10000回くらい練習したら神業になるから。神業になったらもう凄いよ。

どんなノックのボールだろうが、人が投げるショートバウンドであろうが、どんなボールでも神様のように捕れるようになる。そういうことを小学生の息子たちによく言っていた」と手留照は振り返る。

息子たちに神業になるよとおだてながら、自分一人でできる壁当てで、ショートバウンドの捕り方やゴロの捕り方とか、しょっちゅう練習させていた。

特に四男の修は、幼稚園の頃から学校から家に戻ると、いつも壁当てばかりしていた。壁のどの辺りにボールを当てたらショートバウンドになる、どこら辺りに当てたらハーフバウンドになる、そんなことを自分で研究して練習していた。「壁当ては、息子たちにとって一番の先生だった」

バトミントンの羽を使いバッティング練習

息子たちに家の中でもバッティング練習をさせていた。新聞紙をビニールテープで巻いてのティーバッティングで、たくさんバットを振らすようにした。

そして、 バトミントンの羽を使ってのバッティング練習もやった。知人から高校のバトミントン部の使えくなった羽をもらってきて使った。

「近い距離から、けっこう早く投げてバックスイングをしないで打つような練習を家になかでやっていた」という。台風のため学校が休みの日とかは、4人の息子たち同士で特訓と称して家の中でずっとやっていた。

「女房も野球が好きだから、あんたなんかよって言わない。逆に今度はお母さんが投げようかとか言ってくれた。楽しい環境だったんだろうな 今思えば。家族に誰も野球が嫌いな人がいない環境だったから」。

細かい指導はせず、個性を伸ばす。

浜川ジャイアンツで監督も務めた手留照だが、あまり細かい指導はしなかった。投げ方の基本については指導したが、細かく投げ方がどうのこうのとは言わないようにした。

「好きなように投げていいと思った。ただ腕の振り方が遠いところからくるような投げ方をしているときには、ラジオ体操の動作のように腕を下から持ってきて投げるんだよというのは教えた。

それ以外はもう個性だから、肘が上がるとか、下がるとかはあまり言わなかった」。投手として社会人野球まで経験した手留照。

自らが社会人時代にケガのため現役を退いたことから、肩肘を痛めるような投げ方をする子には投げ方を教えたが、投げること、打つこと、守ることに関しての細かい技術は中学、高校ともっと高いレベルになってから覚えていいと思った。

「息子たちに対しても、細かく腰がどうの、右足がどうの、左足のためがどんなふうになってているとか腰が開いているとか言ったことはない。野球を好きになって欲しかったので、そんなこと言ってお父さんと野球の練習をやったら、やかしましいから嫌だなと思われたくなかったかもしれない。

そもそも自分もあまり教えきれなかったから(笑い)。バッティングでも、腰を入れて振れではなくて、遠くに飛ばすつもりで打てとか、空振りしてもいいから大振りせよと言っていた。大振りするっていうのは、力が入るから 重心をためて腰も回転する。こんなことをよく考えてから発してた」。

Profile

本名 砂川正美

昭和36年生まれ(那覇市出身)
真和志高校エースとして秋季大会優勝。福岡工業大学では4年間で27勝。社会人野球では九州三菱自動車に所属)
社会人野球を引退後、浜川ジャイアンツの監督に就任。4年後に県大会優勝をはたし全国大会に出場。)
野球の指導を通して感謝の気持ちを子供達に伝えているうちに「夢」と「ありがとう」が組合わさった文字を発案。)
現在は、 いろんな場所で講演をしながら「夢」の文字を自身の夢と共に描き続けている。

 

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