手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条 (第10回)

手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条

2016-04-15

甲子園への黄金の5ケ条

  • 1) 頭に思い描いた夢を文字や絵などの形にする
  • 2) 夢がかなった時のかっこいい自分の姿を想像する
  • 3) ファンをいっぱい増やす(挨拶の達人になる)
  • 4) 履物をきちんとそろえる。(コロコロ大作戦)
  • 5) 必ず声に出してありがとうを伝える(ありがとう大作戦)

甲子園に行きたい気持ちで素直に

4人の息子たちは兄弟喧嘩をしたり、手留照氏や母親に叱られるようなこともあったが、野球のおかげで意外と反抗期と思わせるようなことはなかった。

「単純といえば、単純。いい言葉でいえば、こんな僕の言葉を信じて素直だった。本当に甲子園に行きたいという その気持ちが強かったのかもしれない」。

4人の息子たちが「僕たちに夢がある。甲子園に出て活躍したい。どうしたら甲子園に行けるか教えてほしい」と手留照氏のもとにお願いにきたのは、長男の政輝が小学校6年生で末っ子の四男修は幼稚園児のときだった。

「五つのことをやったら甲子園行けるよって言ったそのときの僕の言い方だったり、そのときのシュツエーションだったりがちょうど彼らの心にはまったんじゃないかな」そう話す手留照氏。

手留照氏から黄金の5ケ条の話を聞いた息子たちは、その日からすぐにやり始め、そしてやり続け、甲子園に出るという夢を実現させた。

長男の政輝は、手留照氏の知人がチーム関係者だったことが縁で、大分県の明豊高校へ進学した。

兄の後を追い次男の鉄平、三男三太も明豊へ進学し、それぞれが甲子園出場という夢を叶えた。

上三人を明豊高校に進学させた手留照氏だったが、一人くらいは地元沖縄から甲子園を目指してほしいという気持ちは強かった。その気持ちは妻も一緒だった。

甲子園へ4回出場した、四男・修

修が高校進学を控えたとき、両親は県内の高校への進学を勧めた。

しかし、いざ修が県内の沖縄尚学への進学を決めると、手留照氏は修が両親に気を使って県外進学をあきらめたと思い、「明豊に行っていいんだよ。お前の行きたいところだったらお父さんもお母さんも応援するよ。自分たちに気を使って沖縄尚学に行くって言っているんだったら、これはやめなよ」と言った。

そのとき沖縄尚学が、6年間も甲子園から遠ざかっていたこともあった。

だが、修の返事は違った。黄金の5ケ条を実践した兄たちが甲子園出場を果たしたことから「俺はもっとやっているから、甲子園に行ける」という気持ちがあった。

幼稚園児のときに甲子園への黄金の5ケ条をスタートさせた修は、兄弟の中でも高校に進むまでの実践期間が一番長かったからだ。

それに対して手留照氏は、甲子園への黄金の5ケ条を授けたものの、何の確信も持っていなかった。

手留照氏が息子たちに黄金の5ケ条を授けたのは、野球をする上で大切な要素ということで伝えたわけで、当然ながら甲子園に確実に出られる保証はないし、たまたま上の兄たちは甲子園に行けたという思いだった。

そんな手留照氏だったから、修から、しばらく甲子園に出場していない沖縄尚学に行くと話された時に「お前どうするんだよ。甲子園に行けなかったら」と思わず口にしてしまった。

すると修は「はっ?。お父さん、俺は幼稚園生の時からコロコロ大作戦やっているぜ、ありがとう大作戦も、挨拶の達人も俺が一番やっているよ。行けないのか俺」と返してきた。

一瞬たじろいだ手留照氏だったが、「だよな。そうだよ、お前は大丈夫だよ」そう応えた。

妻にも「修が自分の口からそう言ったから応援しよう、大丈夫だよ」と伝えた。

自分の意思で沖縄尚学に進学した修は夢のような4度の甲子園出場を果たす。

思えば一番最初に黄金の5ケ条を実践したのも修だった。

息子たちに、五つのことをやったら甲子園行けるよと伝えた日、一つ目、二つ目、三つ目と話し「四つ目は コロコロ大作戦と言って履物を揃えるんだよ」と言うと、修がすぐさま玄関に走って行って「お父さんコロコロやってきたぜ」と。

「修が兄たちと違う道、沖縄尚学で4度も甲子園に出た。不思議だなとは思いました。でも、それ以来、自分も堂々とこの黄金の5ケ条を絶対に信用してやったほうがいいですよと言えるようにもなりました」。

社会人野球まで経験した手留照氏は、息子たちに技術的なことも多く教えた。

投げ方のコツ、バットの振り方のコツ、ボールの捕り方のコツなど、自分が持っているノウハウを伝えた。

でも甲子園に行くためには、なんらかの運が必要だという考えだった。「幸運、運というのは人が運ぶ。どんな人が運ぶかというと応援してくれる人。

応援してくれる人が多ければ多いほど幸運というのを運んでくれる。挨拶の達人になる、コロコロ大作戦をやるとファンが増える。ファンをいっぱい増やす。

心から応援する人を増やす。これが幸運を運ぶ秘訣だと信じています」。甲子園への黄金の5ケ条を素直に信じて実践し続けた4人の息子たちは幸運を引き寄せ、夢を叶えた。

Profile

本名 砂川正美

昭和36年生まれ(那覇市出身)
真和志高校エースとして秋季大会優勝。福岡工業大学では4年間で27勝。社会人野球では九州三菱自動車に所属)
社会人野球を引退後、浜川ジャイアンツの監督に就任。4年後に県大会優勝をはたし全国大会に出場。)
野球の指導を通して感謝の気持ちを子供達に伝えているうちに「夢」と「ありがとう」が組合わさった文字を発案。)
現在は、 いろんな場所で講演をしながら「夢」の文字を自身の夢と共に描き続けている。

 

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