手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条 (第8回)

手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条

2016-02-15

甲子園への黄金の5ケ条

  • 1) 頭に思い描いた夢を文字や絵などの形にする
  • 2) 夢がかなった時のかっこいい自分の姿を想像する
  • 3) ファンをいっぱい増やす(挨拶の達人になる)
  • 4) 履物をきちんとそろえる。(コロコロ大作戦)
  • 5) 必ず声に出してありがとうを伝える(ありがとう大作戦)

怪談から始まった階段の昇り降り

甲子園への黄金の5ケ条を4人の息子に授けた手留照氏は、また、息子たちの体をつくる方法もいろいろと編み出した。

手留照氏の家族は当時、団地の8階に住んでいた。当然エレベーターを利用して生活をしていたが、長男の政輝が小学校6年生のある日を境に4人兄弟はエレベーターを使わくなり、階段を昇り降りするようになった。

それは学校で慰霊の日の特設授業があった日だった。6年生の政輝は学校から帰ってくると、授業で聞いた沖縄戦のことを手留照氏へ話した。

それを聞いていた手留照氏は、ふと思いついた話を始めた。「お前たちはエレベーターに一人で乗ったときに、誰もいないのに何か人がいるみたいな、そんな感じになったことないか」。

息子たちは口を揃えて「あるある」と答えた。「そうだろう。実は、この辺はアメリカ軍が上陸してきて、日本の兵隊と戦った場所なんだよ。亡霊がいっぱいいるわけさ。エレベーターにもいるわけよ」。

末っ子の幼稚園児の修も柱にしがみついて話に耳を傾けていた。手留照氏はさらに続けた。

「いいか明日からお前たちは子供だけでエレベーターに乗るなよ。もしか子供だけで乗ったら、兵隊がお前たちの背中につかまるよ」。

すると息子たちは「お父さん、エレベーターには乗らない」と言い出した。

さらに手留照氏は奥さんにも相槌を求めた。「お母さんも、子どもだけで乗らないほうがいいと思うだろ」「うん」。

それから4人の息子たちは8階の住宅のあるフロアまで階段を使うようになった。下まで降りて忘れ物に気付いたときなどは、息を切らしながら部屋に戻ってくることもあった。

「そのおかげで4人とも中学校になったら駅伝の選手や中体連の陸上競技大会の選手に選ばれたりして。

この階段昇り降りのおかげで、みんな足も速くなった」と手留照氏は笑った。さすがに年齢が上がるとエレベーターに乗るようになったというが、末っ子だった修は一番長い期間、8階まで階段を使うことになった。

家中チューブだらけ

小学生で肩や肘を痛める子も多い。そこで手留照氏が実践したのが、肩や肘のケガをさせないためにインナーマッスルを鍛えること。

市販のトレーニング用のチューブを3等分に割いて、家中の柱や机の脚、トイレの中など、上だったり下だったり30ケ所ほどにくくり付けた。

奥さんにも最初は「あっちもこっちも変なもの付けて」と言われたが、理由を説明すると協力してくれた。

息子たちが、勉強しながらでも、トイレに入りながらでもチューブを引っ張れるようにし、普段の生活の中で肘肩のケガ予防のためのトレーニングを行った。

ラケットを使った投球フォームづくり

肘を痛めない投げ方も覚えさせた。手留照氏は「ボールをパシって投げた瞬間自然に小指が上に向くように、小指が空を向くような腕の力の抜き方をする投げ方を身に付けさせたら、ケガの防止になる」という。

このフォームを覚えてもらうために手留照氏がやったのが百均で買ってきたバトミントンのラケットを振らすこと。

右利きの場合、ラケットを体の左に持っていくようにゆっくりと振る。「ラケットの打点を高くすれば大きく振れるから強くふる必要はない。これを数多くさせた」。

少しずつ体で覚えさせて自然にケガをしない腕の振り方が出来るようになってくる。

「仮にキャッチボールを20球するのであれば、ラケットを振るのを倍させるとか、キャッチボールを終わってからさせるとか、このようにしてクセをつけさていけば、キャッチボールでも自然にケガを防ぐ腕の振り方になってくる」と手留照氏はいう。

子供に手首を回転させると説明しても「難しい」となるので、遊ばせながら身につける方法を考えた。手留照氏自身が肘を壊した経験があり、ケガには気を付けた。

「4人を実験台にやったらうまくいっている。そのおかげで息子たちは肘肩を壊さないと思っている」

Profile

本名 砂川正美

昭和36年生まれ(那覇市出身)
真和志高校エースとして秋季大会優勝。福岡工業大学では4年間で27勝。社会人野球では九州三菱自動車に所属)
社会人野球を引退後、浜川ジャイアンツの監督に就任。4年後に県大会優勝をはたし全国大会に出場。)
野球の指導を通して感謝の気持ちを子供達に伝えているうちに「夢」と「ありがとう」が組合わさった文字を発案。)
現在は、 いろんな場所で講演をしながら「夢」の文字を自身の夢と共に描き続けている。

 

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