手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条 (第4回)

手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条

2015-07-15

この作戦をやればお前たちの体が強力な磁石になる

4人の息子たちが「僕なんか夢がある。甲子園に出て活躍したい。

お父さん、どんなしたら甲子園に行けるか教えてほしい」と聞いてきた日に、手留照氏が授けた甲子園への黄金の5ケ条。その4つ目に話したのが「コロコロ大作戦」。

「この作戦をやればお前たちの体が強力な磁石になるからな」と話を始めた手留照氏に、末っ子の修が「お父さん、俺は道から歩いていたら鉄がひっついてくるのか」と聞き返してきた。

「修、磁石といっても、鉄がひっついてくる磁石じゃないよ。ラッキーとかチャンスとか幸運とか、目に見えない、おっ良かったな、ついていたなとかいうことが、どんどんひっついてくる磁石だよ。この磁石になるためにはコロコロ大作戦をやらないといけないんだ」と手留照氏は説明した。

コロコロ大作戦

コロコロ大作戦とは、『履物を揃えること』。いつでも、どこでも、どんなときでも、自分の履物はもちろん、近くにバラバラになっているものがあったら、それも一緒に「コロッコロ」って揃える。

「今は誰も見ていないから、まあいいかとか、とか思ってやらなかったらダメだよ。

友達がまわりにいて自分だけこんなのやったら照れくさいなって思うときもあるけど、そんなときにも必ずやる。これがコロコロ大作戦」と子供達に伝えた。

「これをやれば本当にね、目に見えない幸運とかラッキーとか、お前たちに運を運んでくるんだよ。お前たちの体にラッキーなことがひっついてくるんだよ」。

コロコロ大作戦をやることで幸運の磁石になれると話す手留照氏に子供たちは「えー、簡単」と返してきた。単に、これだけのことをやるだけで甲子園に行ける、強運な磁石になれると4人の息子たちは信じて、素直に実践することになる。

体育館の靴を全部揃えた、末っ子の修

手留照氏は、それまでも何度も子供たちに向かって「履物はちゃんと揃えないとだめだろ」って言っていたという。

そして、また何日かしたら 「おい、玄関の履物を見てみろ」と言うことの繰り返しだったという。

でも、その日の夜に「甲子園に行くために履物を揃えるんだよ」と言い方を変えて、夢の実現とつなげて話すと、子供たちは一気に変わった。

コロコロ大作戦で「幸運の磁石になれる、甲子園に行ける」と信じた息子たちは話しを聞いた翌日にすぐさま行動に出た。幼稚園生だった修は、わざわざ小学校の体育館まで出向いた。

「お父さん、俺、今日よ、小学校の体育館に行って30くらいの靴をコロコロしてきたけど、俺どうなるかな」と父親に告げた。

それを隣りで聞いていた三男の三太が、「お前だったのか。体育館の靴並べたのは」と割り込んできた。三太もまた体育館に行ったのだった。

「体育館の入り口はいつも履物がいっぱいバラバラになっているから、コロコロ大作戦をやろうと思って行ったのに、今日に限って皆きれいに並んでいた。おかしいなと思った」と修に対してけんか腰になった。

さすがに、この話には手留照氏も「わざわざやりに行く必要はないんだよ。たまたま学校のトイレに入ったら履物がバラバラになっていたとか、気が付いたときにやればいいんだよ」と諭したというが、コロコロ大作戦の話が息子たちに大きく響いた証だった。

決めたことを貫き通せば自信が付く

コロコロ大作戦。実は、手留照氏が大学時代に恩師から教わったことだった。それは、いざという場面に出会ったときにポジティブな思考になれる方法である。

「野球に関係あるなしに関わらず、何でもいいから自分で決めたことを貫き通せ。そしたら自信がつくから」と話す恩師が、そのとき例としてあげたのがコロコロ大作戦。

「履物をいつでもどこでもどんなときでも毎日揃える。こんなことひとつだけでもいいんだよ」と教えてくれた。

手留照氏はこの例え話『はきものを揃える』ことを実践した。毎日、履物を揃えることで「自分はちっちゃいことかもしれないけど、今まで、いつでもどこでもどんなときでも履物を揃えるっていうことをしてきた。

だから、俺には幸運がひっついてきている」そう思うことができるというのだ。

何かいざというときに、自分で自分を励ますことができ、自信を持って対応できるということを教えてもらった。だから、それをそのまま子供達に伝えたのだった。

「チャンスのときに、ちょっと心細い気持ちになりそうになったときには、俺はコロコロ大作戦をやってきたから絶対に打てると思い、味方がピンチのときには、俺はねコロコロ大作戦をしてきたから、俺のところにボール飛んで来い、俺のファインプレーでこのピンチを逃れてみせる」とこんな気持ちになれるという発想だ。

「本当は、履物を揃える以外でも何でもいいんですが、自分で決めたことを貫き通せば自信が付くと教えてもらったときに、自分が履物を揃えること実践したので、そのまま 彼らにも伝えた」と手留照氏。

幸運の磁石になれるコロコロ大作戦は、チャンスに打席がまわってきたとき、ピンチのシーンを迎えたときに、「打てなかったらどうしよう、エラーしたらどうしよう」などというネガティブな思考を抑え、試合を左右するような大事な場面でもポジティブな気持ちで臨めるようになるための作戦でもあった。

野球の天使が味方に付く

「お父さん、俺にはまだ見えないけど、本当に天使っているみたいだな」。

修がそう切り出したのは、明治神宮大会の決勝で8対0の劣勢から大逆点勝ちを演じ、優勝して沖縄に帰ってきたときのことだった。修は幼稚園生のときに聞いた、あの日の話を覚えていた。

手留照氏は、コロコロ大作戦で幸運の磁石になれるという話を子供たちに伝えたときに、運が良くなる、目に見えないラッキーとか幸運がついてくるとはどういうことかという説明に、思い切り想像の創り話をしたのだった。

「お父さんには見えるのがあるんだ。野球場には必ず野球の神様がいて、そして神様の下に野球の天使がいて。お前たちには見えないかもしれんけど、ゴルフボールくらいの大きさで羽が生えてて、それが野球場に何百匹って飛んでいるわけよパタパタパタといっぱい。

お前たちが、一生懸命にコロコロ大作戦も挨拶の達人もやっていると、その天使たちが味方してくれる。ボテボテのピッチャーゴロを打ったときに、それでも諦めずにファーストまで懸命に走ったらセーフになることがあるだろ。それはなぜか。

ピチャーがボールを捕ろうとした瞬間に、天使が飛んできて自分の体をボールに当ててイレギュラーさせて、お前は助けられるんだよ。

何でもないサードゴロを三塁手がとんでもない暴投をするのを見たことあるか。三塁手が投げようとした瞬間に天使がパンって手を押すんだよ。

投手の牽制球でアウトになるとき、あれも天使がランナーの耳をクイッとひっぱっているんだよ。マジ野球の天使の仕業だよ。こんなのがいっぱいあるんだよ。天使たちに味方されるか敵になるかっていうのがコロコロ大作戦だよ」。

その話を聞いた子供たちも「マジ、じゃあコロコロ大作戦やるから」ということになったという。

そして、あれから10年以上もコロコロ大作戦を続けてきた高校生の修に明治神宮大会の決勝で起こったできごとは、話をした手留照氏本人をも驚かせた。

当日、応援に行けずに後でビデオで観たという手留照氏。3点差まで詰め寄り行け行けムードの中、修の放った当たりは投手と一塁手の間に転がるゴロ。

チームの勢いが止まるかと思われたその瞬間、ゴロを投手がお手玉、懸命に一塁を駆け抜けた修はセーフとなった。

さらに、8対8の同点に追いついた後のシーン。ツーアウトランナー2塁。二塁走者は砂川修。次打者がライト前へ強烈な当たりのヒットを放つ。当たりが良すぎて誰もが三塁ストップと思っている中、コーチャーの制止を振り切って修は本塁へまっしぐら。

あきらかな暴走に見えた。ライトからのバックホーム。しかし、送球が高くそれ、修はタッチをかいくぐり9点目のホームイン。

「お父さん、俺にはまだ見えないけど、本当に天使っているみたいだな」。

コロコロ大作戦のメリット

手留照氏が、甲子園への黄金の5ケ条の一つとして息子たちに「履物を揃えること」を教えたのは、ラッキーを引き寄せる磁石であり、自分に自信がつくようになることなど、野球をする上でのメリットがあると考えていたからであるが、野球に関すること以外にも息子たちにプラスになると思ったからである。

それは、人となり、立ち振る舞いが良くなるということ。自然にいつでも、どんなときでも履物を揃えるということが身につくと、大人になった時に必ず役に立つと思った。野球の甲子園という夢を通して、立ち振る舞いがいい人間に育っていくようにということであえてコロコロ大作戦を勧めたという。

「僕なんか夢がある。甲子園に出て活躍したい。お父さん、どんなしたら甲子園に行けるか教えてほしい」と聞いてきた日から13年が過ぎ、小学生だった長男の政輝、次男の鉄平も大学を卒業して社会人に。三男の三太、四男の修も大学生になった。「今でも息子たちは、コロコロ大作戦をやっていますよ。もう普通に。逆にやらないとね、変な感じみたいですよ」。

甲子園への黄金の5ケ条

  • 1:頭に思い描いた夢を文字や絵などの形にする。
  • 2:夢がかなった時のかっこいい自分の姿を想像する
  • 3:ファンをいっぱい増やす。(挨拶の達人になる)
  • 4:履きものをきちんとそろえる。(コロコロ大作戦)
  • 5:必ず声に出してありがとうを伝える(ありがとう大作戦)

Profile

本名 砂川正美

昭和36年生まれ(那覇市出身)
真和志高校エースとして秋季大会優勝。福岡工業大学では4年間で27勝。社会人野球では九州三菱自動車に所属)
社会人野球を引退後、浜川ジャイアンツの監督に就任。4年後に県大会優勝をはたし全国大会に出場。)
野球の指導を通して感謝の気持ちを子供達に伝えているうちに「夢」と「ありがとう」が組合わさった文字を発案。)
現在は、 いろんな場所で講演をしながら「夢」の文字を自身の夢と共に描き続けている。

 

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