手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条 (第6回)

手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条

2015-12-15

甲子園への黄金の5ケ条

  • 1) 頭に思い描いた夢を文字や絵などの形にする
  • 2) 夢がかなった時のかっこいい自分の姿を想像する
  • 3) ファンをいっぱい増やす(挨拶の達人になる)
  • 4) 履物をきちんとそろえる。(コロコロ大作戦)
  • 5) 必ず声に出してありがとうを伝える(ありがとう大作戦)

当の目的は、礼儀や感謝の心を身につけてほしかった。

これまでに「甲子園への黄金の5ケ条」、それぞれにまつわるエピソードを紹介してきた。4人の息子たちは全員が、「黄金の5ケ条」を実践して甲子園出場という夢を叶えることができた。

しかし、手留照氏が息子たちに「黄金の5ケ条」を授けた本当の目的は、「挨拶ができる人」「履物を揃えるような立ち振る舞い良い人」「普通にありがとうと言える人、物にも感謝できる人」に育てたいということだった。

普段は、注意してもすぐに忘れてしまう息子たちが「お父さん、どうしたら甲子園に行けるか教えてほしい」と質問してきたときに、これはいい機会だと思った。

もちろん、野球をする上でも大切な要素である。グランドで言えば見えない基礎の部分、この基礎の部分がしっかりしていて、そして投げる、打つ、走るなどのスキルを磨く練習をしていけば、おのずと結果がでてくるという考えだった。これは手留照氏が大学の野球部にいた頃に恩師から教わったことでもあった。

だから真剣な眼差しで耳を傾ける息子たちに「夢を決める。夢が叶えられたときのかっこいい姿を想像する。挨拶がちゃんとできる。履物を一つに揃えることができる。感謝のありがとうって常に恥ずかしがらずに言える。」と、この5つのことを伝授した。この5つのことを子供たちが、甲子園出場という夢の実現を信じて実践してくれれば、

仮に「お父さん俺なんか五つのことちゃんとやってきたのに甲子園に行けなかったさ」って言われてもいいと思っていた。毎日、実践することでこれらのことが自然に身につけば良いと考えた。

履物を揃えるとか挨拶をちゃんとやるとか、ありがとうを言えるということが普段の行動となれば、「夢が叶わなかったから、明日からもうやらない」ってことにはならないと考えたからだ。

現に4人の息子たちは、甲子園出場の夢を果たした後も「ありがとう大作戦」も「コロコロ大作戦」も普通にやり続けている。生活の中に染み込んでいるという。

こうなることが本来の目的だった。いい社会人になる、いい大人になってくれれば、たとえ甲子園に行けなかったにしても次の夢が見つかったときに必ず役に立つと思って、息子たちに「黄金の5ケ条」を伝えたのだった。

ところが、本当に4人とも甲子園出場を果たしたものだから、手留照氏自身が「この5ケ条の効果はすごいな」と驚くとともに、基礎の大切さを実感させられた。

面接試験で「黄金の5ケ条」が役に立った

福岡で暮らす長男の政輝が、役場の採用試験に合格が決まったあとに沖縄に戻ってきていたときのこと。

「親父、もしかしたら5ケ条の話をしたから、試験に受かったかもしれないよ」と話しかけてきた。それは、こんな話だった。

最終面接まで進み、試験官から、甲子園の話をふられてときに「子供の頃に父親から5つことをやれば夢が叶えられるんだよというのを教わって、僕たち兄弟はそれを信じてやりました。そして4人とも甲子園に行くことができました」と話すと試験官が「この5つのことは何なの」と質問してきた。

そこで政輝は「黄金の5ケ条」についてこんこんと話したという。

政輝は「5つのことについてあっちが聞いてくれたから、自分も話がしやすいし、試験官も熱心に聞いてくれた。

あれで俺受かったかもしれないな」と言った。親子は「まじスゴいな黄金の5か条は」と笑った。

「黄金の5ケ条」は、以外なところでも効果をもたらすかもしれない。

子供の夢を否定しないで応援しよう

黄金の5ケ条の一番目にある夢について、手留照氏は子供の夢を否定しないで応援しようという。

例えば子供が宇宙飛行士になりたいと言ったときに、「おーすごいな、宇宙飛行士になるんだ。かっこいいな。そのときはお父さんもお母さんも乗せてくれよ」と楽しみだなと言い、応援するから頑張ってと言ってあげられる親になって欲しいと。

そして、夢を叶えるには応援する人が一人でも二人でも多くいたほうがいいから、挨拶の達人になることや、この5つのことを教えて、なおかつ「今のうちから勉強頑張っておかないと宇宙飛行士になれないよ」と励ます。

心の中では「何?宇宙飛行士だって」と思っていたとしても、そのときは「すごいな」って言ってあげられるような親にならないといけないのではないかと手留照氏は思う。

Profile

本名 砂川正美

昭和36年生まれ(那覇市出身)
真和志高校エースとして秋季大会優勝。福岡工業大学では4年間で27勝。社会人野球では九州三菱自動車に所属)
社会人野球を引退後、浜川ジャイアンツの監督に就任。4年後に県大会優勝をはたし全国大会に出場。)
野球の指導を通して感謝の気持ちを子供達に伝えているうちに「夢」と「ありがとう」が組合わさった文字を発案。)
現在は、 いろんな場所で講演をしながら「夢」の文字を自身の夢と共に描き続けている。

 

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