手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条 (第5回)

手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条

2015-09-15

ありがとう大作戦

4人の息子たちが「僕なんか夢がある。甲子園に出て活躍したい。お父さん、どんなしたら甲子園に行けるか教えてほしい」と聞いてきた日に、手留照が授けた甲子園への黄金の5ケ条。

手留照氏は、最後の5番目に甲子園に行ける必殺技があるよと息子たちに話したのが、名づけて『ありがとう大作戦』。「最後5番目、これはね、とにかくすごい。どんな夢でも叶う。甲子園なんてイチコロだよ」。わざとじらしながら

話す手留照氏に息子たちも近寄ってくる。「いいか本当だよ。すごいんだよ。コロコロ大作戦の10倍くらいスゴいよ。強力な磁石にもなれるし、ファンもどんどん増えて、溢れてもう大変なことになる」。

業を煮やした末っ子の修が「お父さん、早く教えて」と詰め寄った。子供達の興味心がMAXになったのをみて手留照氏は「それはね、ありがとう大作戦だよ」と話を進めた。

感謝の気持ちを伝える

「えっ、何ね。ありがとう大作戦って」、そう問いかける息子たち。

手留照氏は「超必殺技のありがとう大作戦というのはね、お前たちが人から何かを教えてもらったとか、何かを手伝ってもらった、何かをしてもらったとちょっとでもいいから感じたときに、ちゃんと口に出して感謝の気持ちをありがとうって言葉に乗せて相手に伝えることだよ」と答えを返した。

そして「今日からは、人から何かをしてもらったと感じたときには、大人だけじゃなくて友達とかにでも恥ずかしいなと思わずに「ありがとう」って言葉を相手にちゃんと伝える。

そしたらね、お前たちはすごいよ。強力な磁石にもなって、ファンもいっぱい増えるよ。ありがとう大作戦だよ。どうだ、やるか」と尋ねた。

すると息子達は一斉に「やるやるやる」と返事を返してきた。

そして、幼稚園児の末っ子・修がいきなり顔を近づけてきて言った「お父さん、ありがとう」。それからは家庭でも、兄弟同士でお互い照れくさそうに「ありがとう」と言い始め、だんだんと普通に「ありがとうな」って言うようになっていった。

手留照氏は、これだけでも大成功と感じて喜んだ。

道具にも感謝の身持ちを伝える

手留照氏は、「ありがとう大作戦」の話の中で、人に対して感謝の気持ちを伝えるのと同じように、もう一つ、道具に対しても感謝の気持ちを持つことも伝えた。

その時、部屋にあったグローブを手にすると「いいかこのグローブを使うときに、グローブに向かって、心の中でいいからこんなふうに言うんだよ。『グローブさん、ありがとう。グローブさんのおかげで手も痛くなくてキャッチボールをすることができます。ノックのボールを捕ることができます。グローブさんありがとうって』、スパイクでもそう、運動場でもそう。

心の中で『ありがとう』言って使えば道具がこんどはお前なんかの味方をするんだよ。本当だよ」と息子達に話した。父親の話に夢中になっている4人の息子達はすかさず「マジ?。じゃあイレギュラーとかがあってもグローブさんが捕ってくれるの」と聞いてきた。

「そうだよ。早いライナーが飛んできて、あーって思って目をつぶった瞬間、いつのまにかグローブにちゃんと入っているんだよ。その代わりグローブを投げたりして粗末にすると、グローブが怒って全然なんでもないフライでもポコンって落としたりすることになるんだよ。

だから道具に感謝のありがとうを込めて使うんだよ。そしたら、お前達はどんな夢でも叶えられるよ」と説いた。

そこから子どもたちは、道具に対するありがとう大作戦も実践するようになる。

3男の三太は、宿題をやっているときに消しゴムにボソボソっと言っていた。

末っ子の幼稚園児の修はファミレスに行って、座るときにボソボソっと口を動かす。「イスさん、イスさんありがとう。少し臭いお尻を支えてくれてありがとう」。

息子達は、クセのように、何に対してもボソボソ言うようになった。そして成長した今でもありがとう大作戦を続けている。

幼稚園生の時から「ありがとう大作戦」を実践している修は4回甲子園に出場。甲子園でも、ありがとう大作戦を実践していた。

甲子園のビデオをテレビで観ると、修はイニングごとに守備位置に就くと足元の土を指でならしながら、ボソボソって言っている。

手留照氏は修に聞いた「グランドでありがとう大作戦だろ。なんて言っているの」。修は照れながらも「グランドさんありがとう。いつも捕り易いボールを運んでくれてありがとうって言う」と答えた。

「えっマジ。そういえば、お前のところにあまりイレギュラーとか無いよな。いつも捕り易すそうなボールしか来ないな」。

「だろっ」修が笑い返した。手留照氏は、ありがとう大作戦が活きているなと思い喜んだ。

「結果的に4人の息子全員が甲子園に出た。そのときは甲子園に行っても行かないでもいいと思っていた。

甲子園をえさに、『こんなことやったら甲子園に行けるよ』と息子達にやってほしいことを身につけさせた。彼らは、私と同じで頭が単純だから、親父がこんなふうに言ったからから、俺たち甲子園行けるなと信じ込んでずっと続けていった」と話す手留照氏。

もちろん、打ったり、投げたり、走ったりの技術も必要。それは当然、どんな子どもたちも同じようにやっている。練習もちゃんとやって、それプラスの基礎的なところ、グランドからは見えない部分の黄金の5ケ条を息子達に授けた。

甲子園出場を果した息子達だが、その後も黄金の5ケ条を実践し続けている。

甲子園への黄金の5ケ条

  • 1:頭に思い描いた夢を文字や絵などの形にする。
  • 2:夢がかなった時のかっこいい自分の姿を想像する
  • 3:ファンをいっぱい増やす。(挨拶の達人になる)
  • 4:履きものをきちんとそろえる。(コロコロ大作戦)
  • 5:必ず声に出してありがとうを伝える(ありがとう大作戦)

Profile

本名 砂川正美

昭和36年生まれ(那覇市出身)
真和志高校エースとして秋季大会優勝。福岡工業大学では4年間で27勝。社会人野球では九州三菱自動車に所属)
社会人野球を引退後、浜川ジャイアンツの監督に就任。4年後に県大会優勝をはたし全国大会に出場。)
野球の指導を通して感謝の気持ちを子供達に伝えているうちに「夢」と「ありがとう」が組合わさった文字を発案。)
現在は、 いろんな場所で講演をしながら「夢」の文字を自身の夢と共に描き続けている。

 

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