手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条 (第2回)

手留照(てるてる)の甲子園への黄金の5ケ条

2015-05-15

夢を叶える基礎となる、それが黄金の5ケ条

「僕たち夢がある。甲子園に出て活躍したい。お父さん、どうしたら甲子園に行けるか教えてほしい」と4人の息子たちが手留照氏の元へ真剣な顔でお願いに来た。

信じて実行すると約束するのであればと息子たちに伝えた『甲子園への黄金の5ケ条』。

その時、手留照氏には別の思いもあった。

親として息子たちに野球を教えることで社会人として通用するような人になってほしいということ。

できれば成功してほしい、人の役にたつ人間になって欲しいという親としての思い。

手留照氏は、野球でもビジネスでも必要なことは、人から好かれることであり、信頼される人になることだと、5ケ条を実践することによって、それを身につけてもらいたいと考えた。

そして、野球においては、幸運とかラッキーとか目に見えない運がついてくる、運を自分のところに引き寄せる力を持った人にもなってほしいという思いを込めて息子たちに『甲子園への黄金の5ケ条』を授けた。

野球に限らず、他のスポーツでも、ビジネスでも、人生において夢を叶える基礎となる、それが黄金の5ケ条。

甲子園への道が近付くのはもちろんのこと、これらを実践すれば絶対誰よりも成功するよという思いをそのまま表現した。

一番良かったのは、押し付けではなく、息子たちから自らが教えをこうてきたこと。

挨拶をする、整理整頓をする、ありがとうを言うなど、それ以前から息子たちには注意してきたはずなのに、その日を境に息子たちは変化した。

バカがつくほど素直に『甲子園への黄金の5ケ条』を実践する子供たちに対し、手留照氏も一緒になって5ケ条を実践した。そして、4人の息子たちは甲子園の土を踏むことができた。

[第1条]頭に思い描いた夢を文字や絵などの形にする

甲子園への黄金の5ケ条のまず一つ目は、夢を決めること。

それも正々堂々と勇気を持って決めること。どんな夢でもいい。

こんな夢って自分には無理だろうとか考えずに自由に夢を決める。

そして、決めた夢をちゃんと紙に書く。例えば作文にする。作文が苦手ならメモ書きでも良いし、絵でも良い、写真を目に入る場所に貼っても良い。

4人の息子たちは、ヒットを打ったり、盗塁したり、ファインプレーしたりと甲子園で活躍すること、甲子園の満員の観衆の前での入場行進をすることなどを文字に起していた。

それから、子供部屋が甲子園の写真でいっぱいになるほど、甲子園の写真を部屋のあちこちに貼り始めた。

[第2条] 夢がかなった時のかっこいい自分の姿を想像する

次に伝えたのは、「本当に夢が叶ったとき、実現したときのかっこいい自分の姿を想像する」こと。

なぜ想像することが大事なのか。頑張って野球をやっていても、エラーしたり、三振したり、監督から怒られたりして、やっぱり無理なのかなと、くじけそうになったりすることが必ずある。

その時に このかっこいい姿を想像すると、よしもう一回頑張ろうと前に進むことができる。

いろんな場面での自分のかっこいい姿、お父さんお母さんたちも拍手して喜んでくれている。

そういうシーンを思い描くのだ。

手留照氏は息子たちが実際に想像を膨らましている姿を目にした。

ある日、手留照氏が帰宅すると長男の政輝が部屋で壁に貼られた甲子園の大きな写真を見ながら一人でニタニタ笑っている。

びっくりした手留照氏が「何を一人で笑っているの」と尋ねると政輝は「今、甲子園で入場行進しているんだよ」と答えた。

「そうか」と手留照氏も写真を見ながら一緒になって想像した。

次男の哲平も別のある日、一人でニタニタ笑っていた。

「おい哲平どうした」と聞くと「俺、今よ、甲子園で盗塁を決めてガッツポーズしているんだ」と言う。

手留照氏は「盗塁決めたんだ、そしてガッツポーズしているんだな」と同じようにシーンを思い描きながら、こんどは二人でニタニタ笑った。

その5年後、政輝は明豊高校のユニフォームを着けて、甲子園のグランドを堂々と入場行進した。

哲平も、それから7年後に春、夏と甲子園に出場、合計で5回も盗塁を決めた。

甲子園への黄金の5ケ条

  • 1:頭に思い描いた夢を文字や絵などの形にする。
  • 2:夢がかなった時のかっこいい自分の姿を想像する
  • 3:ファンをいっぱい増やす。(挨拶の達人になる)
  • 4:履きものをきちんとそろえる。(コロコロ大作戦)
  • 5:必ず声に出してありがとうを伝える(ありがとう大作戦)

Profile

本名 砂川正美

昭和36年生まれ(那覇市出身)
真和志高校エースとして秋季大会優勝。福岡工業大学では4年間で27勝。社会人野球では九州三菱自動車に所属)
社会人野球を引退後、浜川ジャイアンツの監督に就任。4年後に県大会優勝をはたし全国大会に出場。)
野球の指導を通して感謝の気持ちを子供達に伝えているうちに「夢」と「ありがとう」が組合わさった文字を発案。)
現在は、 いろんな場所で講演をしながら「夢」の文字を自身の夢と共に描き続けている。

 

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