県立浦添商業高校野球部 PICK UP! TEAM

県立浦添商業高校野球部

2016-08-15

想いを背負い捲土重来を期す

先輩たちの熱戦を悲劇のまま終わらせない!

去った第98回全国高校野球選手権沖縄大会3回戦、浦添商業高校野球部(以下浦添商)は小禄高校と対戦。初回一死一・三塁から4番古堅宗磨のタイムリーと相手のエラー絡みの間に2点を先制した。

4回にも大嵩博人のタイムリーで1点を加え順調に進んでいたかに見えたがその裏、誰も予想しなかった一つ目の悪夢が浦添商ナインを襲う。

「ツーアウトからだっただけにね」と、宮良高雅監督は振り返った。

2本のヒットと四球で満塁もされると9番にはストレートの押し出し。トップに返って大城旭にもタイムリーを放たれる。次打者の当たりはショートゴロでこれで斬ったと思った瞬間、エラーが出てしまった。

さらに上原琉に2点タイムリーを浴びた大嵩博人から大嶺拓也へスイッチしたその初球、上原優に右中間へ持って行かれて大量7点を失ってしまった。

それでも粘る浦添商は7回表に1点差に詰め寄る。

そして8回表。一死一・三塁から砂川翔也にタイムリーが飛び出し同点とすると、スクイズも成功しついに逆転!流れは浦添商と思ったが、既に二度目の悪夢が忍び寄っていた。

小禄の攻撃中に雨が強まりゲーム続行不可能と判断。均等回に戻り、小禄に敗れてしまったのだった。

「大嵩の生命線である外で勝負出来なかったことや、メインナイターの電力供給のことなど色々と悔しい思いはありますが、このことを通して新チームを担う彼らには、捲土重来の気持ちを持って欲しい」。

宮良高雅監督は、同情されたままのチームじゃなく力で相手をねじ伏せること、そして先輩たちが悪夢を体験したあのイニングの怖さを忘れずに、またやり遂げたかったあのイニングを無駄にするな!と新チームに託す。

捲土重来の秋へ

新主将の福原が「三年生が背中で見せてくれた夏。もし来年、あの場面が来ても絶対負けないという強い気持ちでこれから先に臨む」と語れば、エース野原も「投げたいと思う場面だったがそれが叶わないのは自分の信頼が薄いから。得られるように課題をクリアしていきたい」と足元を見つめている。では、新チームの浦添商をみていこう。

「野原を中心にタイプ野原異なるピッチャーが揃う」とは宮良高雅監督。球威で押す宮城に左の野原、右アンダーハンドの與座に左サイドハンドの屋宜、さらには右サイドハンドの金城丈と左右上下見事なまでに揃い踏みだ。しかしやはり大黒柱は必要。

新人中央大会那覇北地区予選の初戦で興南とぶつかった浦添商。喜瀬、仲地を中心に足が使えるこのチームは15安打をマーク。乱打戦を制し勝利したが、投手陣は四球が多く課題が残った。

「各々まだ自信が無いんだね。付けること。そのために8月19日から一週間ほど、八重山にこもって合宿をするよ」。

今年の5月、熊本県への遠征を予定していたが大地震発生。やむなく久米島合宿へと変更したが、これが中々良かった。

それでこの夏も5年間続けていた県外遠征を取りやめて、強化合宿を張ることにしたのだ。

この一週間で変わったナインたちが、秋の県大会で大暴れする姿が目に浮かぶようでもある。そのためには目の前のことから逃げないこと。声を出しの意識付けを徹底すること。

そして何より、あの夏の1イニングを忘れないこと。一度敗れた者が勢いを盛り返して巻き返す=浦商捲土重来の秋に期待したい(當山)。

TEAM DATA FILE

創部1972年(昭和47年)
監督宮良高雅
部長中本昌弥
副部長宮城隼人、新川将太、糸数昌人
部員数2年生33名、1年生26名計59名
練習場所浦添商グラウンド
部訓闘志前面

監督紹介

宮良高雅 監督

石垣島生まれ。石垣小―石垣中―興南高校(3年時は決勝で上原晃さん擁する沖水に1-2惜敗)。
同僚に名幸氏とデニー友利氏(元大洋)がいた。
卒業後専修大学(東都)へ進学。3年時、全日本大学野球選手権大会で準優勝。同僚に元ヤクルトの岡林氏がいた。
専大卒業後、体育教師の資格取得の為仙台大学へ(コーチを務める) 資格取得後美咲養護学校へ。
八重山へ戻り、八重山特別支援学校へ赴任。
2011年浦添商の監督へ就任し現在に至る。 翌2012年甲子園へ初出場し、ベスト16へと導いた。

 

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