未来高校沖縄硬式野球部 PICK UP! TEAM

未来高校沖縄硬式野球部

2015-06-01

野球も勉強も手を抜かない、真の人間力を育てる

沖縄版24の瞳

「やっぱりユニフォームは良いですね。」

長年にわたって高校野球に携わり、監督や部長として豊見城高校や沖縄水産、那覇商業高校を甲子園へと導いてきた神山昂氏。

定年となり一線を離れていた名将がこの度、KBC学園未来高校沖縄硬式野球部の監督へ就任。

県高野連に加盟し、来る夏の選手権沖縄県大会からの参加が決まった。

「よく県内の中学に声をかけて集めたメンバーと言われますけど、実際のところは苦労の連続でした。」

今年の4月に総合学科スポーツコースと硬式野球部が開設されたばかりとあって、去年から県内の中学校の進路部などにファックスを送るなど、東奔西走に明け暮れていたのが始まりだった。

「中には届いていませんよ、という中学校もあって。調べてみたら全く開封されていないまま寝かされていたことも。」 と、神山監督が苦笑するほど、知名度は無に等しかった。

興味を持ってくれた親や選手に対しても「KBC学園独自のキャリアガイダンス(職業実践授業)や資格取得カリキュラムを通して職業観を養い、3年間で7つの資格取得を目標にしています。

その中で、高校野球を通した人間形成に力を入れていくということを伝えた上で、来てくれたのがこの12名。」(神山監督)なのだ。

通信制高校というと月に1回のペースで登校するイメージが強いが、実はそうではない。

野球部が所属する総合学科(スポーツコース)は、朝8:30に登校し、月曜から金曜まで国語や英語、社会や数学など、普通高校と変わらない授業形態である。

午後からは「総合学習」としてトレーニングや練習時間などに充てている。

むしろ、在学中に資格等を取得しなければならないので、野球や勉強など充実した毎日を送ることが出来る。

年内には、専用グランドとしての場所が確保出来る予定だが、それまでは練習場所の確保等に苦労する。

取材に訪れたこの日の練習場所は宜野湾球場だった。

高校野球、大学野球で百人や二百人という大所帯で野球を続けてきた神山監督の長男で、同校硬式野球部部長の剛史は、「僕らが責任を持ってホントに見ることの出来る人数という意味でも少人数が一番いい」と語る。

「たくさん人を集めて、結果(全員を)指導が行き届かなかった、では無責任になるということを、彼らから教わったかな」と、ノックをする剛史部長の姿に優しい眼差しを向けた。

だが、練習を見ていると技術の高さに驚かされる。

技術や身体能力に長けた選手が大勢いるのだ。

「中学から力を持っていた選手たちがいる」とは初代主将の新盛和司(松城中)。

サウスポーの神谷優斐(豊見城中)や下地晃之介(金城中)らの名前を挙げた主将は、この仲間となら、甲子園に行ける!という期待感で胸いっぱいなのだという。

「4月には恥ずかしがって挨拶が出来なかったけど、徐々に学校生活も変わり、野球に対しても準備力が備わってきた」(新盛主将)。

その言葉通り、5月始めに初の対外試合を行った浦添商業高校との練習試合(一年生対決)では12対2と圧勝したのだ。

「神山先生の下で野球をやりたい」と集まった24の瞳と、彼らを率いる父子鷹。

来る6月の夏、全国高校野球選手権沖縄県大会において、KBC学園未来高校野球部歴史の第一歩が紐解かれる!

チーム名学校法人KBC学園 未来高校沖縄硬式野球部
創立2015年
スタッフ神山昂監督、神山剛史部長
部員数12名(1年生のみ)
練習日休日は不定期
モットー勉強も野球も手を抜かない

監督取材

神山 昂 (監督) 学校法人KBC学園 未来高校沖縄硬式野球部

昭和26年12月4日生まれ。

糸満高校を卒業。

豊見城高校、沖縄水産高校にて故・栽氏の右腕となり甲子園へ4度出場。

那覇商を率いた1994年には春夏連続甲子園出場。

監督として、甲子園で5度の優勝を誇る名門横浜高校に勝利するなど実績を挙げている。

甲子園という夢へ向かって努力する大切さと、KBC学園グループならではのクレドに基づいた人間育成を提案、未来高校野球部監督へ就任した。

63歳。

 

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