県立名護高等学校野球部 PICK UP! TEAM

県立名護高等学校野球部

2014-09-11

野球部の活躍で街に元気を与えたい

キラキラ輝いた最後の夏

人目をはばからない男泣きだった。

慰霊の日と重なった6月23日、名護高校は球陽高校と対戦。3回裏に4点を奪われる苦しい展開だったが4回二死満塁から岸本嘉朗、比嘉俊弥(以上3年)の連続タイムリーなどで同点に追い付くと、8回には3本のヒットに相手のエラーを絡めて突き放し9対7で勝利を決めるとその直後、校歌を歌うその頬から涙があふれ零れた。「 新チームとなって一度も勝てなかった彼らにとって長く、そして待ち望んだ1勝だった 」と田原監督が振り返る、ナインの嬉しい嬉しい男泣きだった。

練習試合数が絶対的に足りなかった選手権沖縄大会前の名護高校。そこで夏に向けた後ろ盾として実戦を意識した練習を繰り返す一方で、「 お前たちは戦える、勝てると言われても信じられなかった 」(當山昇平)と喪失していた自信を取り戻すため、多いときに1日5試合を組むなど積極的に練習試合をこなしていった。

その結果、大量リードされていても追い付くことが可能なチームへと変貌。そして「 4月からの伸び率はどこにも負けないほど 」(田原監督)にまで遂げた成長を知らしめたのが二、三回戦だった。強豪中部商業高校戦では1点リードの9回裏、一死三塁と窮地に立たされたかに見えたが、三球三振とセンターフライに斬り見事な勝利を収めると、知念戦では序盤で1対6と敗色濃厚な場面の7回に下位打線からチャンスを作って、岸本と真栄田伊織(2年)のタイムリーなど打者10人を送る猛攻を見せて一挙5点を奪い試合を振り出しに戻したのだ。試合は惜しくも延長13回、サヨナラを喫して敗れてしまったが、一度も勝てなかったチームが強豪と互角以上に渡り合う姿を見せた、記憶に残る最後の、そして最高の夏だった。

沖縄が本土へ復帰する前の春のセンバツと、復帰直後の夏の選手権に甲子園へ出場している名護高校だが、40年以上の歳月が流れた今、その栄光も忘れ去られようとしている。この街に、満面に喜色をたたえる市民で溢れかえるような明るいニュースを届けたい!その思いを胸にナインたちは今日も白球を追う。甲子園出場という歓喜の光を差し込むことが出来るのは、俺たちだけだと信じて。

TEAM DATA FILE

チーム名県立名護高等学校野球部
監督監督:田原伸繁
コーチ:金城武史部長
(1972年甲子園出場春夏スタッフ)
部員数選手38名、マネージャー10名
練習場所名護高校グラウンド

監督取材

田原伸繁県立名護高等学校野球部

1967年7月25日生まれ(47歳)。
与勝高校では外野手で4番として、琉球大学では一塁手で4番として活躍。教員となってから嘉手納、久米島、具志川、北中城を経て今年名護へ赴任。4月に監督へ就任しチームをベスト16に導いた。第95回全国高校野球選手権記念沖縄大会では、北中城を率いた初戦で秋の優勝校である宜野座を破り、三回戦では沖縄尚学を相手にあと二人で勝利という場面を演じるなど、粘り強いチームを作るその育成手腕が高く評価されている。

 

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