志多伯ファイターズ PICK UP! TEAM

志多伯ファイターズ

2016-11-15

古き良き時代の温かな愛にあふれるチーム

昨今の学童野球界は大会で勝つことが一つのステータスとなり且つ、中学高校と一線級で活躍することを目標としている親や指導陣が多く見受けられる。

それはそれで否定はしないが、その弊害として「なんでそんなことが出来ないんだ!」と怒鳴り声を上げる大人の顔色を伺いながら、試合や練習をする子供たちの姿を目にする。

高校野球の監督さんたちに聞いた一番多い声が「学童のうちに、野球って楽しい!と感じさせて欲しい」。野球部だから野球だけやる、そして勝利を。だがそこに、楽しさを感じる子供たちの笑顔があるだろうか。

東風平にある志多伯ファイターズには子供たち、指導陣、そして親が一体となった風景が広がる。例を挙げてみよう。

去った夏休みだ。宜野座村へ遠征に出たファイターズは、初日に松田クラブや漢那イーグルスと練習試合をした。

お泊りした翌日、ファイターズの姿は国際海洋環境情報センターにあった。見学しそこで夏休みの宿題も一つ完了。その後は漢那ダム祭りに参加し水遊びに興じた。

遠征では、翌日も練習試合をたっぷりやって帰るチームも多い中、試合は試合でキッチリとやり、学ぶときは学ぶ、遊ぶときは遊ぶのがファイターズ。

また、日頃練習場所として提供してもらっている西部プラザ公園の草刈り作業も親子共にやる。ともすれば、子供たちは試合をして親が周りの草刈りをするチームも多いが、ファイターズにはそれがない。練習も作業も全てみんな一緒。だからこそ笑顔があふれ、終わった後のBBQも最高に美味しいのだ。

4月、現チームになって初めての大会勝利を挙げたファイターズ。6月の南部B大会でも1勝利する。

そして迎えた東風平・具志頭郵便局長杯。初戦、白川ヒリューズに勝利。5月の夏季大会で1対6と完敗していた友寄ムムクラーズとの戦いに挑んだ。

1対1の緊迫した展開だったが6回裏に逆転を許してしまう。7回表も二者が倒れる。しかしファイターズは着実に成長していた。四死球で満塁とすると、神谷陽仁のサードへの当たりが内野安打とあり1点をもぎ取る。ここで打席に立った主将の仲座照瑛が会心のレフトオーバー。三塁、二塁、そして一塁走者までもが生還。大量4点を奪い、現チーム初の4強進出を決めた、記憶に残るベストゲームとなったのだった。

「少年野球では失敗が当たり前」。いくら失敗してもOKだぞと子供達に伝える監督とコーチ陣は、極力怒らないことにしている。そんなことでは強くならないぞという意見もあるだろう。事実、ファイターズは練習試合で負け続けてきた。

「失敗して初めて次のステップがある」。月曜の練習休みを利用して、字の体育館でラダートレーニングを開始。徐々に体幹がアップしていたナインは、守りでエラー無し、打席でものびのびと大きく振り、走塁も積極的に子供達自身で仕掛けることが出来た。

神谷監督以下、指導陣の思いは郵便局長杯での成功体験として実ったのだ。そんな大人たちの背中を見て育った6年生たちは、優しくて後輩思いだ。皆が率先してチームの和を築いていく。そう、古き良き時代の、温かな家族愛と兄弟愛にあふれる少年野球の姿がここにはある。(當山)

TEAM DATA FILE

創部1968年
実績1998年春県大会準優勝
監督神谷勝巳
コーチ澤岻泰彰、神谷貴弘
マネージャー柳沢太輔
父母会長仲座照幸
部員数1〜6年生の25人
練習日火・水・金・土・日(※土曜は13〜17時まで)
練習場所西部プラザ公園
モットー失敗して初めて次のステップがある

指導者紹介

神谷勝巳 監督

1980年8月8日、地元志多伯生まれ。東風平中学、沖縄水産高校で外野手としてプレー。長男(中学1年)が小学3年生のときに入部したのをきっかけにチームへ関わり、昨年監督へ就任。3人の息子全員が野球を愛するベースボール一家の長だ。

 

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