嘉手苅 裕史

嘉手苅 裕史

社会人野球の西部ガス入りが決まり新たな道へと挑む

2014-11-11

名桜大のエース嘉手苅裕史が社会人野球の新鋭西部ガスへ進むことが決まった。嘉手苅は身長167センチと小柄ながら抜群のコントロールとコンビネーションで安定した投球をみせる。

投げることすらままならなかった高校時代

本部高校時代の嘉手苅には、ほとんど実績がない。1年生の秋に腰を痛めてしまい、完治するまでの1年余、ほとんどボールさえ握れず野球ができなかったからだ。野球部では雑用などの裏方を務め、試合の日はバックネット裏でスコアラーを担当した。野球部の練習を手伝い、時間になるとリハビリに通うという繰り返し。なかなか良くならない腰の状態に「3年になるまでに本当に治るのかな」と不安をかかえながらリハビリに通う日々。ようやく症状が治まったのは、1年余が経った2年生の冬だった。その間、全くボールも投げていなかった。それでも練習を再開し、春の大会では1試合に登板することができた。そして迎えた最後の夏、本部高校は1回戦で真和志に2対1で9回逆転サヨナラ負けを喫す。嘉手苅は先発でマウンドに立ったものの途中交代した。高校時代は「試合は数えるくらいしか出ていない」という嘉手苅。しかし、当時の名桜大の国吉監督から「野球をやるなら、うちに来ないか」と声をかけられた。それでも、自分の実力の程も分からず野球を続けるかどうか迷ったという。

1年生の最初にみた全国の舞台がモチベーションに

野球を続けることを決め名桜大野球部に入部した嘉手苅は、春のリーグ戦からベンチ入り。リーグ戦では1イニングしか登板機会はなかったものの、名桜は県リーグを優勝し、九州地区決勝トーナメントに出場。さらに九州地区も制し、全日本大学選手権大会へ初出場を果す。名桜は一回戦で敗退するも、嘉手苅にとって東京ドームのベンチで全国大会を経験できたことは大きかった。「目標ができたというか、自分もここでやりたいなという気持ちが芽生えた」。不完全燃焼だった高校時代と違って野球に取り組む新たなモチベーションが生まれた。そこから投球術のレベルアップにつながっていく。結局、全国の舞台に立つことはかなわなかったが嘉手苅は言った「いろいろな経験ができたので、そんなに悔いは残っていないですね大学野球に」。その言葉通り、嘉手苅は県外の大学との試合経験を積みながら自らを成長させてきた。

試合経験を積むことで大きく成長

嘉手苅は、2年春以降は主戦投手としてチームの柱となっていく。「大学に入って一番成長したと思うのは、精神的な部分。どんどん試合に出るようになって余裕を持って投球できるようになった」。高校時代にほとんど試合に出ていなかった嘉手苅は、数多くの試合で投げることで精神的な逞しさも増していった。さらに嘉手苅を成長させたのが九州大会。そこで対戦する相手の中にはプロ野球や社会人に進む選手も多い。「そういう人たちと試合をできることがモチベーションにもなるし、自分に足りないこととかも試合にでるたびに気づかされた」という。レベルの高い選手を目標とし、そこから意識が変えたり、練習方法を変えたりした。そして経験を積むにつれて少しづつ自信も芽生え、社会人でも投げてみたいと思い始めたという。

九州共立の川満、大瀬良に投げ勝つ

九州大会で一番印象に残っているのが、2年の秋の明治神宮大会九州予選での九州共立との試合という。相手のピッチャーは、川満(現千葉ロッテ)、大瀬良(現広島)。「大学のスターの人たちと投げ合えたのが自分とってはいい経験となった」。この試合で嘉手苅は先発し、完投。3対2で名桜は勝利を手にした。その頃から、九州でも自分の球が通用するのではないかなと感じてきて、どんどん気が入っていったという。「上で、やってみたいなと思うようになり、練習も意識してやるようになった」。球速自体は高校時代と比べて3、4キロしかアップしていないというが、質とかコントロール、キレとかは大分上がったと本人は感じている。持ち球は、ストレート、カーブ、スライダー、カットボール、ツーシーム、チェンジアップ。本人が有効に感じるカットボール、ツーシームは大学に入ってから身につけた。「全球種とも、ある程度は思ったように投げることができる」という。すべてが得意球といえば得意球。しかし、キメ球と言い切れるボールを持たない。本人も「それが課題ですね」というが、川満、大瀬良に投げ勝つ投球術を持つのも事実だ。

コントロールが生命線

「球速とか凄いボールって言うのがないので、配球で勝負していかないと勝てません」という嘉手苅。「自分の中ではコントロールは生命線としてやっているので、球種に関係なくコースはつけます。投げたいところに投げられなかったら配球どころの話じゃなくなるので」とコントロールには自信を持つ。そして、試合前、試合中とキャッチャーとは常に配球について確認しあうという。このことは、嘉手苅が大学に入って意識が大きく変わった点だという。自分の持ち味を最大限に発揮するために、考えながら投球を組み立てていく。そんな嘉手苅だから、打者が誰であろうとあまり意識しないという。「見るのバッターのタイミングとかなんで、特別このバッターをとか自分は意識しないですね。基本は自分の投げるボールとかコースとかにけっこう意識を集中してしまうので」。きっちりと自分の思う通りに投げることができれば、抑えることができるという意識で打者と対峙している。

社会人でさらに磨きをかける

嘉手苅は、社会人野球に臨む心境について「これまでと違う指導者にも出会えて、違うような指導も受けられるので、自分がどう変わるか楽しみ」と語った。そして現在MAX137キロの球速を140キロ台にのせたいという。「140キロ出ないので、そこも目標ですね。140を越えればもっと違うものが見えてくるんじゃないか、球速が上がったら変わってくる部分もあると思うので、自分の中で楽しみ部分です」と自分自身の成長に思いをよせる。「雰囲気や環境も変わるので気持ちも高まっていくと思う。今よりも技術を上げて、まず試合に出られるようになることが目標です」。福岡の地に旅立つ小柄な投手が、社会人の舞台で大きく躍動することを期待して応援したい。

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