山城大智 / 安里健
山城大智 / 安里健
第10回BFA18Uアジア選手権 ―Asian Baseball Championship 侍ジャパン18U代表 代表選手
2014-10-11
アジア選手権大会お疲れ様でした。今日はそれを中心に振り返ってもらいますが、まずは日本代表に選ばれたときのことをお聞かせ願えますか
安里 「 自分は、三重高校戦で負けて宿舎に帰ったときに(代表だぞと)比嘉先生に言われました 」
山城 自分は同じ三重高校戦後に、高野連の方に『 残念だったけど、また大阪に2日後に戻ってくるのだからね 』と言われました 」
そうして晴れて日本代表の一員として選ばれた。そのときの率直な感想は
山城 甲子園終わってすぐだったので気持ちを切り替えるというか、ジャパンで活躍しようということよりも、他の選手たちの野球を学ぼうという気持ちでした 」
安里 「 とにかく凄いメンバーが来るということで少し不安もあったのですけど、時間が経つにつれて代表という自覚とともに自分が出来るプレーをしようと思うようになりました 」
日の丸が刺繍された日本代表のユニフォームをはじめ、数々の道具を手にした山城と安里。袖を通したときに、あぁ、大学生もプロもこうやって代表という重みを背負いつつ戦っていたのだろうなと気が引き締まる一方で、気負うことや緊張は全くなかったと両名は語る。明治神宮大会や春夏甲子園という数々の大舞台を経験してきたからこその自信とプライドが、頑張るのは当たり前で逆に代表での練習や試合、そしてアジア大会そのものを楽しもうという逞しさに溢れていた。
高橋光成や小島和哉、岸 潤一郎(明徳義塾)、岡本和真(智辯学園)や浅間大基(横浜)、ら彼らと触れ合ったことで感じたことを話して下さい
山城 あいつらのプレーを、傍から見ていたらホントに凄いヤツというイメージが強くて。厳ついヤツラばっかりなのだろうなと思ってましたが、そんな想像とは逆に、凄くフレンドリーなのだと、一緒に過ごしていくことで分かりました 」
安里 「 プレーひとつひとつがずば抜けていて、そんなヤツラと対等に話なんて出来るものだろうかという不安もありましたけど、でもそんなことは無くて。でもやっぱりみんな同じ高校生ということで共通の話題もあって楽しかったです 」
安田孝之(明徳義塾)や香月一也、浅間大基ら打撃陣と部屋が一緒だった安里は、彼らの高いギャグセンスに圧倒される。初顔合わせの初日こそおとなしくしていた彼らだったが、打ち解けてきた二日目以降、夜遅くまでおしゃべりが止まらず笑いっぱなしだったとか。さすが大阪の子供たちと言ったところだ。投手陣と一緒だった山城は、一番人懐っこく一番フレンドリーだったという岸と一緒に過ごす機会が多かったと貴重な宿舎内でのひとコマを語ってくれた。
山城 自分はもちろんピッチャー陣と練習するのですが、技術面で一番に感じたことは彼ら全員、コントロールが良いということでした。その中でも一番速かったのが光成。まだ体が出来上がって居ない中で凄いボールを投げる。こういうヤツがプロという厳しい環境に行っても、そこでしっかり身を置いて成長するのだろうなと思いました 」
安里 「 自分が一番びっくりしたのは岡本のバッティング。引っ張ったらもちろん凄い打球が飛んでいくのですけど、流しても、まるで左打者が引っ張ったような打球が上がっていく。(ここで山城が「 (岡本の)対応力がヤバイです 」)うん、だよな。そして追い込まれても粘って粘って、最後に来た甘い球を木製バットで、しかも大学生の投手から打って軽く外野の頭を越えちゃう 」
山城 ベンチに戻ってきたときに『ヤマ張っていたのか』と聞いたら、『相手の配球を読んでた』って 」
安里 「 だってアイツ、ピッチャーがフォークを投げてくるなという場面で、アンダーシャツとかグラブとかではなく、ピッチャーの手首のスジを見るってえげつないことを言うのですから 」
山城 でもアイツ、グランドを離れたら全然かわいくて(笑)。ユルキャラなのです。それも普通の高校生ではなく、中学生みたいな。でも打席に入ったら変わる! 」
安里 「 浅間は調子が悪くて。それでも黙々と一人でずっと振り続けている。コーチが通りかかったら捕まえて教えを請うなど貪欲で積極的 」
山城 自分も含めてみんな普通に配球を考えて組み立てていくのですけど、それでも(シュート回転してりして)内に入ったりとか。でも岸はそういうミスがホント少なくて、寸分の狂いもなくやってのける。小島だと通常ピッチャーは外の出し入れを使いますが、アイツは内側の出し入れをやってのけちゃう 」
外の出し入れだと、まずはギリギリストライクを取って、次は1個分外して投げると山城。でも小島は右打者の内側の懐内での出し入れを行うと説明してくれた。高校招待野球のセルラースタジアム那覇で二人は小島と対決。そのときも故意に内のボール球を投げては打者に焼付けさせておいて、次に1個分ベース寄りに放っては見逃し三振を奪うなど沖縄尚学打線を手玉に取っていたとのことだった。
山城 アイツらはプロに行くことが当たり前という前提で野球をやってる。指名されなかったらどうしようとかいう思いは無い。周りの顔色を気にしない強さを感じました 」
安里 「 プロなんて自分が行けるような世界ではないとずっと思ってましたし、将来は社会人で都市対抗に出られれば良いかなとも思ってました。でも代表メンバーとともに過ごす中で、自分も頑張ったらプロに行けるのでは?という気持ちに変わりましたし、大学での4年間を(プロ入りする夢のために)頑張ろうと思えるようになりました 」
最初のプレマッチ戦で健くんはタイムリー(近畿大戦の8回)、大智くんは3イニング(1失点)を投げました
安里 「 打ったのは外のスライダーでした。大学生だし打てるとは思わなかったけど結果が出てひと安心でした 」
山城 好調では無かったですね。やっぱり(女房役である)キャッチャーが違うじゃないですか。あれは大きいと思います。タイに行ってからはバッテリー間でのコミュニケーションが増えていくにつれて、そういった心のつかえは徐々に無くなって、スリランカ戦(3イニングパーフェクト)に継っていきました 」
それが準決勝の台湾戦でのサヨナラ勝ち、決勝では韓国に敗れるもエラーでの失点が響いて1点差の惜敗で準優勝となりました。エラーしちゃったのだけど、でもグランドレベルは酷だったのではありませんか?
山城 外野の芝生に蛇がいました(苦笑) 」
安里 「 球場の倉庫に人が住んでいました(苦笑)内野は赤土で整備するトンボが6Kgはあろうかという重さ。もうボロボロですよ(苦笑) 」
グランドにヘビが居てそれを取り除かないまま決勝戦が行われる!日本では考えられないことも世界では当たり前に存在することがあることを身をもって知った二人でもあった。次はもう少しときを遡って、そんな二人が沖縄尚学の門を叩くまでの経緯に触れてみた。
山城 地元の北山高校に先輩にあたる拳太郎(現巨人)さんが居て、はじめは一緒に野球やろうかなと思ってました。でも僕も親も甲子園という夢があり、私学に進んでもいいよと言ってくれて。自分の中では興南高校にほぼ決まりかけていたのですが、尚学のセレクションも受けてみようと。そしたら、そこでの雰囲気が自分にあっているなと感じてここに決めましたが、終わってみて結果を残すことができたので尚学でやれて良かったです 」
安里 「 じいちゃんや親も、従兄弟や僕が甲子園出場を果たせたらなと願っていましたので迷うことなく尚学へ決めました。 」
よく野球では生活面が大事と言われますが、おふたりが体験してきて感じてきたそのことを具体的に教えていただけますか
山城 自分は、あのとき打たれたのはその前にやるべきことをやらなかったからなのか、ということに結びつける男なのです。例えばゴミが落ちているのを見て見ぬふりしたから試合で打たれたと。悪いこと(チームのルールに従わないこと)を遠ざけようとしていました 」
安里 「 自分は1年生の頃は全然話を聞く耳を持たなくて怒られてばっかり(苦笑)。野球でも結果が出なかった。でも2年生に上がった夏の前頃には、さすがにこのままではヤバイぞと。話を聞いてしっかりしていかないとなと。そこから言われたことを頭の中に入れて意識して練習するようになって。そしたら、自然と試合での結果がついてくるようになりましたし、今ではそういう私生活の面が結びつくのだなと実感しています 」
山城 コイツはまだ良いものを持っていたので。自分は全くストライクが入らなくて苦しんでました 」
実際、諸見里匠主将らの旧チームが臨んだ夏の選手権沖縄大会前まで、「お前たちはピッチャーが居ないからダメだ」と言われていたとのこと。比嘉健一朗と宇良淳に比べると球は速いが山城はだいぶ落ちるという評価だった。その山城がついに登板する機会を得る。準決勝の真和志戦で3番手としてマウンドに上がりピシャリと抑えたのだ。
山城 登板機会は無かったけど調子は悪く無かったので準備はしており、あとは投げろと言われるのを待つだけだったのです。あの延長の1イニングは(自分の持っているもの全てが)爆発した感じでした 」
安里 「 ベンチの自分たちも誰も大智の快投を予想してなくて(笑)『えっ?誰』って感じで(笑)自分たちが一番ビックリしていました 」
ネット裏の僕らは「比嘉・宇良だけでなく山城という秘密兵器まで用意していたのか!」と感心していたのだけどね。そのような事情でしたか。そんな先輩たちの印象とは?
山城 先輩二人も僕も軟式でしたから中学から知っていましたけど、高校入っても二人の安定感は抜群で、県内では負けないと思いましたね。健一朗さんは笑いを取る面白い人。宇良さんはユルキャラで投手陣は面白い方々でした 」
安里 「 匠さんのプレーというのはホントに凄いなと。僕は守備が下手でこの人にはついていけないと思うほどレベルが高くて。だからこそ先輩たちが抜けたらどうなるんだろうという不安から始まった新チームでしたね。自信がついたのは九州大会からですかね 」
九州という言葉が出てきたのでここで触れますが、凄く良いライバルだった美里工業高校との決勝戦を、改めて振り返ってみてどうでしたか
山城 お客さんがあれだけ盛り上がったということは当然自分たちもそうなるわけで。凄かったですよね。大会が始まる前に決勝での沖縄対決を期待しているとメディアの方々からも言われてましたけど内心、事がそう上手く運ぶわけがないだろって(苦笑)。でも互いに準決勝まで勝ち進んで、もしかしたらもしかするぞと。無いよなと思っていたことが現実になったという思いもあって決勝はホント燃えましたね 」
そして健君が起点となって一死二・三塁の場面が出来上がった
安里 「 (代打で登場した金城太希が)打つとは思わなかったです(苦笑)。だから打ったときはヨッシャーというよりも、おぉっ!アイツ打った!といった感じでした。でもあの試合はホント楽しかった。リードされていても楽しかった 」
その後、明治神宮大会での決勝戦。伝説の8点差大逆転激優勝。あの試合がその後の君たちにもたらしたものは何だっただろう
安里 「 変な自信ではないけど心の強さかな。(夏の選手権沖縄大会決勝の)糸満戦でも負けていたけど、全然負ける気しなかった。先に点を取られても全く動じなくなってました。 」
山城 先制されてもノビノビとプレー出来るようになってました。 」
数々の激戦をくぐり抜けてきた二人が一番印象に残っている試合は
山城 自分は2年の夏の甲子園、福知山成美との戦いですね。 」
安里 「 自分は二松学舎大付戦ですね。 」
※去った夏、初回に4点を奪った沖縄尚学だったが二松学舎大付の粘りに押される形で4回には貯金を全て吐き出すばかりか1点のリードを許してしまう。だが6回に同点とした沖縄尚学は9回裏、先頭の中村将己がヒットで出塁すると「西平に3度目となる送りバントを指示してくれた」(安里)ベンチに対し「こんなに俺を信頼してくれているのか」と安里の男気が燃える。追い込まれたが「相手ピッチャーの顔が、ストレートという顔をしていた」(安里)バットが内角の球に反応し見事なサヨナラ打。選抜に続く春夏連続ベスト8を決めたのだった。
先輩たちに続く4季連続の甲子園出場を果たしたばかりか、沖縄尚学初となる秋春九州大会連覇、さらには県勢初となる明治神宮大会での大逆転優勝などなど。「尚学の歴史を塗り替えてきた子たち」と、普段は厳しいことしか口にしない比嘉公也監督をして絶賛されたのが山城・安里らナインたちであった。その尚学で培ってきた、これまでの野球人生を振り返った両名の言葉で締めたいと思う。彼らにとって野球とは何なのか。甲子園とはどういう存在であったか。最後は日本代表にまで選ばれたが、彼らなりに感じてきた道のりを堪能してほしい。
山城 自分たちって実は、新チームとしての入り方が最悪だったよな。 」
安里 「 そう。自分もやっちゃったけど、さらに悪いことが重なって(苦笑)。興南との試合前に、これだけ悪いのが出たのだからもう試合ではこれ以上でないだろって言われて。開き直っていくしか無かった。でも打てなくて。ホント大智のピッチング(完封)が無かったらどうなっていたか。 」
山城 あれを乗り切ったのは大きかったな。先輩たちの春夏甲子園出場に続くっていうプレッシャーが、逆に負けられないぞという力になっていったのかなと思う。 」
安里 「 県の秋はもう全て大智のおかげ。自分たち打撃陣は、何に貢献したかどういう場面で打ったかなんて覚えてない。みんなが打ち出したのは九州大会に入ってからだな。 」
山城 ホームラン打ったしな。 」
安里 「 あれはマグレ(笑)。3ボール2ストライクで三振だけはやらないでおこうと打ったらたまたま入った。奇跡です(苦笑)。でも美工強かったなぁ。 」
山城 簡単に三振しないし。 」
安里 「 九州の秋の決勝でアイツらに勝ったのは奇跡だって。西平なんかと夏は絶対ヤバイって話してた。そしたら選抜から帰ってきたら糸満も出てきて。 」
山城 赤嶺がなぁ。いきなり急成長しててビックリした。そうそ、健にとってのターニングポイントってどこだった? 」
安里 「 2年に上がったばかりのチャレンジマッチで、代打で出てホームランを打ったこと。その後の自分の打席での自信に繋がる一打だった。大智は? 」
山城 自分は試合ではなくて。ひとつ上の先輩たちが出場した選抜大会でベンチ入り出来なかったこと。甲子園を目の前にして落選してしまったことが悔しくて。そこから這い上がろうと努力をしてきたことでいまの自分がある。甲子園って、ホントに感動するというか、ホントに心奪われるというか。ホント熱くなれる場所だもんな。 」
安里 「 うん。行かないと分からない、勝ち進まないと分からない、そういう雰囲気がある場所。とにかく凄くてとにかく楽しい場所だった。 」
山城 日によって、対戦相手によっても雰囲気が全然違う。もう三重や豊川なんて応援が凄くて。 」
安里 「 一塁側アルプスから聞こえてくる応援が、サードに立っている自分にまで響いてトリ肌が立ってたもん。 」
山城 オレなんかライトだよ(笑)。すぐ横。 」
安里 「 それもこれも全て親のおかげだよな。支えが無かったら今の自分はいない。 」
山城 そうだな。親が最高のサポートをしてくれた。感謝しかないな。健にとって野球とは何だった? 」
安里 「 野球してなかったら何をしているか分からない。もしかしたらミュージシャンかな(苦笑)。 」
山城 そうそ、オレ野球終わったら絶対ギターを弾くって言ってた(笑)。 」
安里 「 いやいや。そりゃ、やりたいけどさ 」
山城 大学は音大へ行くって言ってなかった?(笑) 」
安里 「 いやいや違う違う(苦笑)。ギター弾けないけど、LIVEに行って聞くのは好きだしやりたいなぁっていう気持ち。島(石垣島)に帰ったら地元の先輩たちがLIVEをやってるので、そこは必ず訪れている。自分の高校野球はまだ終わってなくて国体が迫っている。ギター弾くのは大人になったらで良いかなと。 」
山城 自分にとっての野球とは、何て言うのかな。生活の一部って言うのかな。僕が野球をやってきたというよりも、野球が僕をここまで形作ってくれた感じ。自分にとって無くてはならない、それが野球かな。 」
名門沖縄尚学でエースとしてマウンドに立ち続けた山城と、4番で打席に入り続けた安里。勝ち続けることが義務付けられたかのようなプレッシャーが掛かる中、それを跳ね除けて結果を出し続けてきたことが数々の大会での栄光の証しとなり、全日本代表メンバー入りに繋がった。彼らは、ときに臆する自分がいてもまずそれを認めることから始め、尚学魂である畏れず、侮らず、気負わずの心を普段の練習で培い、試合で表現することで自分を高めていった。「 プロなんて自分が行く場所じゃない 」と思っていた心が、代表入りして帰ってきた今は、「 プロ入りが目標になりました 」と二人声を揃えてくれた。来年の4月から大学野球界という新しいステージに身を置き、より技術を高めた4年後の二人がドラフト会議で指名される瞬間を心待ちにしつつ、僕ら野球ファンはこれからも彼らを応援していくことを約束しよう。頑張れ大智!チバリヨー健!