福地元春

福地元春

2014年プロ野球ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズに4位指名された、福地元春投手にインタビューを行いました。

2014-12-11

福地元春(ふくち もとはる) 名護市出身 東江中学→自由が丘高校(福岡)→九州共立大学→三菱日立パワーシステムズ

約束の時刻よりも、かなり早く到着してしまい、福地投手の準備ができるまで、捕手兼マネージャーの森脇氏と話をしました。

感激しました!

こんな素晴らしいマネージャーが近くにいれば、安心して練習に試合に臨むことができます。また、私生活においても、親身になって相談に乗ってくれ、喜びも悲しみも分かち合える人であると、福地投手の躍進の一翼を担ってくださったのだと思いました。野球にチームに部員に、多大な愛情を注ぎ、かつ、沖縄に対しても、沖縄の野球選手達に対しても、大きな愛情をかけてくださっていました。更に、豊富な野球知識。空いた時間にでも、沖縄のチームを指導してくだされば、沖縄野球が更に向上すると思いました。

と、感激に震え、涙をも堪えていると、福地投手が来てくださりました。

ドラフト会議を振り返って

大平 「まずは、横浜DeNAに4位指名、おめでとうございます。」

福地 「ありがとうございます。」

大平 「非常に個人的な話ですが、私、プロ野球12球団で、横浜が1番好きなのですよ。」

福地 「本当ですか?」

大平 「珍しいですかね?変ですかね?」

福地 「いえいえ、自分を指名してくれた球団が1番好きな球団とは、自分も嬉しいです。」

大平 「ドラフト会議当日ですが、どんな感じでしたか?」

福地 「何か、周りでは、自分は阪神に指名されるとのもっぱらの噂でしたので、横浜に指名されて、驚きました。」

大平 「『周り』とは?」

福地 「まぁ、インターネットなんですけどね。」

大平 「え~?指名を待つ当人も、そんな感じだったのですか?」

福地 「そうですね。球団から直接、指名するしないの話は無かったです。」

大平 「そうですか。でも、横浜なり阪神なりが、他の球団よりも長い時間、ブルペンを観ていた等との感じはありませんでしたか?」

福地 「いや、それも特に。ですから、横浜に4位指名された時は、喜びもありましたが、驚きもありました。」

大平 「『え~?阪神じゃ無くて横浜かよ?』みたいな感じですかね。」

福地 「ふふふ、正にそんな感じですね。」

大平 「インターネット何て、そんなものですよね。」

福地 「結果論としてはそうですが、色々専門的な分析から、阪神が指名するだろうと言う話もあって、信じちゃっていましたね。」

大平 「結局、八重山商工出身の田中が育成指名されましたげ、うちな~んちゅとしては、指名は2名で、最上位指名は福地投手ですから、素晴らしいですよ。」

沖縄を離れて9年

大平 「福地投手は、中学を卒業してからすぐに県外に出た訳ですから、今年で9年めですよね。」

福地 「そうですね。そんなになりますね。」

大平 「私が初めて福地投手を間近に観たのは、福地投手が高校1年の秋の九州大会でした。」

福地 「へ~、観戦に来られていたのですね。」

大平 「東浜(現ソフトバンク)を観に行った所、『自由が丘には、うちな~んちゅが沢山いるよ~。』と言われ、観に行ったのですよ。」

福地 「結局、甲子園出場は叶いませんでしたけどね。」

大平 「うむむ、残念ながら。でも、『自由が丘に、うちな~んちゅで、左の剛速球投手の上等投手、福地あり。』は、全国に轟いていたと思います。」

福地 「えへへ、光栄ですね。」

大平 「で、大学は高校と同じ福岡にある、九州共立大学に進みましたね。」

福地 「ですね。今もそうですけど、うちな~んちゅは自分の時も沢山いましたよね。」

大平 「九州のリーグ戦には、中々行けませんでしたが、大学選手権等には、必ず行っていましたよ。でも、残念ながら、福地投手の登板を目にすることはできませんでしたが.....。」

福地 「自分の時は、川満(現ロッテ)と大瀬良(現広島)と言う、左右のエースがおり、それ以外も非常に厚い投手層でした。正直、登板の機会は少なかったですね。」

大平 「ですが、こうして日本の野球界の最高峰であるプロ野球の球団から指名を受けた訳ですから、そこいら辺も糧になったかと思います。所で、沖縄を離れて相当経つ訳ですが、食べ物とか気候とか、そこいら辺はどうですか?」

福地 「いや~、それが高校の頃は、福岡の食事が口に合わなくて、でも、体を作るために沢山食べないといけなくて、とっても苦労しました。」

大平 「え~?何か、福地投手って、好き嫌いが全く無さそうな感じなのに。」

福地 「ハハハ、どんな感じですか?結局福岡には7年いた訳ですが、食事は沖縄料理が良いですね。」

大平 「東京に来て2年ですが、今はどうですか?」

福地 「東京の夏の暑さは、沖縄とも福岡とも全く違うので、毎日汗だくです。最近は良い気候になりましたけどね。食事は、東京は選択枝が多いので、良い感じです。」

大平 「では、今後も生活の拠点は横浜近郊になると思いますが、食事等は問題無さそうですかね?」

福地 「そうですね。大丈夫と思います。」

Mr.ポップフライ

大平 「社会人になって2年、福地投手は主に抑えを任されて来た訳ですが、プロに入ってから、希望する登板位置はありますか?」

福地 「いえ。確かに今、抑えの場所で投げていますが、抑えにこだわりは無いですね。『行け。』と言われれば、どんな場面でも行きます。抑えの重要さ、やりがい、楽しさ、難しさ、色々経験できましたが、それは、どこで投げても使える経験と思います。」

大平 「なるほど。横浜の場合、とにかく左投手が困窮していますからね。登板機会は沢山あると思いますが、個人的には先発かなと思います。今年、石田投手と福地投手の、即戦力左腕が2名入った訳ですので、この両名がビッシビシ行ってくれることを上層部は望んでいると思います。とは言え、2014年は新人の三上が抑えを担って来ましたが、磐石とは言えない状態でしたので、左のスーパークローザーが必要なのもあるかと思います。難しいですね。横浜で左のエースと言えば、PL学園春夏連覇時のエース野村以来、思い浮かぶ人が少ないので、是非福地投手には左のエースを襲名して欲しいです。」

福地 「う~ん、正直、今すぐ『抑えで行け。』と言われても、自信が無い訳では無いのですが、プロの打者に通用するのか、どんな駆け引きが必要なのかがわからない状態です。ですから、最初はとにかく登板して実績を作ることを目標にしています。その実績を観て、上層部が判断し、自分の立ち位置を決めてくれれば良いと思います。エース云々は、その次かな、と。」

大平 「なるほど。今年、福地投手は内角低めへの直球や落ちる球で、三振が飛躍的に増えたと思います。『ドクターK』の称号も得つつあるかなと思うのですが、個人的には、『Mr.ポップフライ』を期待しています。」

福地 「何ですか、それは?」

大平 「ズバリ、内角高めの直球です。昔、江川は内角高めの直球で三振を取ることを至上の喜びとしていたと聞きます。バットの更に上を球が通過し、キャッチャーミットに納まる、と。」

福地 「なるほど。」

大平 「で、内角高めの直球で直球で勝負していた有名投手がもう1名います。」

福地 「誰ですかね?」

大平 「それは、桑田です。桑田って、非常に内野飛球が多い投手だったのですよ。走者を溜めても、内角高めの直球で内野飛球に打ち取り、得点を許さなかった、と。桑田自身も、内角高めの直球で内野飛球に抑えることが、至上の喜びと発言しています。ですから、福地投手には、内角高めの直球で内野飛球を連発する『Mr.ポップフライ』になって欲しい訳ですよ。」

福地 「あぁ、そう言う意味なのですね。」

大平 「福地投手の、オーバースローとスリークォーターの中間辺りから投げ込む、150kmの伸びのある直球は、内角高めに行けば、天下無敵だと思いますよ。」

福地 「なるほど。興味深い話ですね。確かに、三振は最低でも3球必要ですけど、内野飛球ですと、1球で済みますものね。」

制球力の向上

大平 「さて、その内野飛球にも、登板機会の増加にもつながりますが、言い難いことを言いますが、福地投手は昔から、『制球に難あり。』と言われて来たと思います。ですが、2014年、飛躍的に制球力が向上したと思います。沖縄の野球大好き人間達も、制球力に悩んでいるのが沢山いると思うので、制球力の向上秘密、秘訣があれば、是非教えてください。」

福地 「確かに、制球力については、自分は高校の頃から散々言われて来ました。ですので、制球を重視する余り、球を置きに行っていたんですよ。」

大平 「なるほど。」

福地 「すると、球速も落ちるし、実は制球力も落ちてしまい、悪循環に陥る、と。」

大平 「それに気づき、克服できたので、2014年の制球力の向上と活躍があったと言う訳ですね。」

福地 「そう言うことですね。」

大平 「それに気付いたきっかけは何ですか?」

福地 「チームメイトや監督、コーチから、『そんなに縮こまって無いで、まずは制球を考えず、腕を振れ。』って言われたんです。今までと全く逆の指示でしたから、非常に困惑しました。で、最初は半信半疑でやってみたのですが、これがスパッとはまった感じでした。思った所に球が行くし、球速も上がりました。」

大平 「なるほど。フォームを変えたと言えば変えたと言えると思うのですが、気持ちの変化も大きそうですね。」

福地 「そうですね。小手先で帳尻合わせすると言う、極端に言えばそんな感じでしたが、全体としての連動を考え、特に『腕を振る』ことを最重点にして投げるようにしました。すると、球も指に良くかかって、回転も良くなりましたし、変化球も思った所に決まり始めました。ですが、ずっと小さな投げ方が染みついて来た訳ですから、一朝一夕には変わりませんでした。けれども、2013年の1年で、腕を振って投げる投球が身についたので、2014年の制球力向上につながったのだと思います。思い切って投げることによって、投げる前から、打者に対して、優位な精神状態にもなることもできるようになったと思います。」

大平 「素晴らしい!今まで、福地投手は様々な指導者なりチームメイトと関わって来たと思いますが、今回、ついに自分の投げ方と出会えた訳ですね。でも、単に腕を振っただけでは、2014年の活躍は無かったと思いますよ。下半身の強化の等、やれることを全てやったからこその結果だと思います。」

福地 「そうですね。これほどやったのだから、この結果があると、そう言える位、制球力をつけるために、ランニングやウェート等、沢山やりましたからね。ですから、自分としては、制球に悩んでいる人達に言えるのは、『下半身を鍛え、腕を振ること。』ですね。」

大平 「ありがとうございます。きっとこの方式で、制球力を向上させることのできるうちな~んちゅが、沢山出て来ると思います。2015年は、開幕から1軍に定着し、20勝もしくは、20セーブを上げ、勝利に貢献し、連日テレビや新聞を賑わせて、我々うちな~んちゅを喜ばせてください。期待しています。」

福地 「ありがとうございます。頑張ります!」

事前に森脇氏が、「福地は素晴らしい人間です。チーム内の皆に好かれ、彼が沖縄の爽やかな風をチームに運んでくれたと思います。決して、巷で言われている時間にルーズですとかそう言う意味では無く。皆に優しく、福地が入ってから、更に楽しく野球ができるようになったと思います。」と絶賛していました。

いや、決してゆくし(嘘)だとは思いませんでしたが、大袈裟に言っているのではと、よこしまな考えを抱いていましたが、そんな自分が恥ずかしい。短い時間のインタビューでしたが、筆者は一気に福地投手のファンになりました。常に笑顔を絶やさず、制球力の話等、何度も何度も聞かれて、嫌であろう話題にも、しかんだ(嫌な顔をする)りすること無く、誠実に話をしてくださいました。

プロの世界は、結果が全て。とは言え、そこは人間のやる競技です。福地投手が投げる試合ならば、守備陣も、怪我を恐れずに打球に飛びついたり、4番打者であっても、送りバントのサインに従ったりと、福地投手を勝利投手にすべく、一丸となってくれると思います。それ程の人間的魅力に溢れた福地投手。横浜ならば、キャンプや公式戦で、沖縄に来る機会は増えると思いますので、是非、皆に応援して欲しいと思います。ちばりよ~、福地元春!

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