BCリーグ・福井ミラクルエレファンツ 2巡目指名
濵岡秀輔 てるクリニック
2016-01-15
てるクリニック入部後、カットボール主体だった投球に変化球を加え投球の幅を広げ、昨年秋のBCリーグのトライアウトにチャレンジ。福井ミラクルエレファンツから声がかかった。
「仕事をしながら野球を続けるのも、そろそろ体力的にも限界かなと感じ始めてきていて。これでダメだったら野球を辞めて広島に帰ろうと思っていました」。
11月に行われるトライアウトに向け、仕事も8月からはアルバイトに切り替えて、野球の練習に時間を割くようにし、一度きりの挑戦に臨んだ。
BCリーグのトライアウトは関東と関西の2ヶ所で行われる。濱岡は関西地区のトライアウトを受験。
一次試験の50m走とブルペンでのピッチングをクリアして二次試験に残った。
二次試験は実戦形式。打者4人を相手に、ボールカウントがワンボール、ワンストライクから打者に挑む。もちろん相手もトライアウトに参加している選手なので必死だ。
濱岡の立ち上がりは最悪だった。最初に投げた球が打者のインコースにはずれると、「今の球は125kgです」の声が聞こえた。球速を計る担当者が、後ろに陣取る8球団の監督たちに向かって球速を報告する声だった。
濱岡本来の球速は、136、7km。やはり緊張していたのだろう。「全然、腕が振れていないな。これは危ないな」。そう思いながらのピッチング。ストライクがとれず、最初の打者を歩かせてしまう。
「あー、これはやばいな」と思った。さらに、続く次の打者にも2球連続でボール球を投げ、スリーボールワンストライク。
「これ、さすがにここでボール投げたら終るな」、そう思ったとたんに気持ちが吹っ切れた。「もういいや、どうにでもなれ、真ん中投げよう」。
開き直って投げた次の球はストライク。最後は得意のカットボールで三振を奪うことができた。1つアウトをとれたことで、力が抜けた。
3番目の打者をショートゴロに仕留める。そして、最後の打者。最初にカーブでストライクとり追い込む。次のストレートは外れたが、最後にスライダーで三振を奪った。
投球終了後に福井ミラクルエレファンツから内定ともいえる言葉がもらえた。そしてBCリーグドラフト会議で、濱岡は福井ミラクルエレファンツから2巡目指名の評価を受けた。
「人生どうなるのか分からないなと思いながら、ここまで来ています」と笑いながら話す濱岡。
望んで沖縄に来たのでもなく、大学で野球をするつもりも毛頭もなかった。
別の大学を落ちたため、教師に紹介された名桜大を受験、気乗りしない気持ちを半分抱えながら沖縄に来た。野球部に入ることも全く考えていなかった。
高校2年から投手に転向し、無名校で3番手の投手だった濱岡は野球を続ける気はなかった。それが、たまたま友人に、一緒に野球部に入らないかと誘われたことから入部した。
「バイトも無く、車も無く、時間を持て余していて、暇つぶしに草野球をやる感覚でした」。ところが入ってみるとうまい選手が多く、神宮を目指していた。
「場違いなところに来たな、すぐ辞めるだろうな」と思った。だが、辞めることはなかった。4年の春のリーグ戦を終えたときに就職活動を考え、いったん辞めようとするも、監督に引き留められ、結局、秋のリーグ戦まで続けることとなった。
最後まで残ったといえ、大学で輝かしい実績を残したわけではない。
3年生の春からベンチ入りしたものの他にいいピッチャーがいたこともあって公式戦での登板はわずか。球速140キロを投げることと、ウエートで体を鍛えることしか興味がなかった。体を鍛えて、力まかせに投げる、そんなピッチングだった。
大学の野球部に入るつもりもなかった濵岡だったが、4年の秋まで野球部に残ることになると、こんどは沖縄に残り野球を続ける道を探す。
「4年の秋までやって就職活動もしていなかったし、何か中途半端に終わるのもいやだなと思いました」。
てるクリニックが硬式野球を続けたい選手の受け皿になっていて、別の仕事をしながら集まっていると聞き、大学の同期の大嶋らとともに入部を決めた。
「クラブチームですが、公式戦で活躍できたら補強選手とか上を目指せる機会があるからここでやろう。とりあえず頑張ってみようと。秋まで残るって決めた時点で、とうぶん野球を続けようと考えていたので、何年かやって上に行くなり何なりできなかったら、諦めて地元戻るか別のことをしよう」。
てるクリニックに入ってから、濱岡は投球スタイルを変えた。「今は、どちらかというと変化球主体ですね。カットボールやツーシームとか。球もそんなに早くないので、カウントをとれる球種を増やしていっています」。
大学時代は、中継ぎや抑えを担当し、短いイニングをほぼ全力で投げていた。ほとんど力投げで、1イニングに1個はフォアボールを与えていた。てるクリニックに入って少し長いイニングを投げさせてもらえるようになると、球数が増え、従来のスタイルのままでは立ち行かなくなった。
さらに、大学時代に取り組んでいたウエートトレーニングの機会が減り筋力が落ちたため、体重が5kgも減り、勢いよく投げたと思った球を打ち返されていた。
安里選手兼任コーチから心構えや、フォームのアドバイスを受け、自らも資料を探して研究して、試行錯誤を重ねた。
「以前は、三振を取りたかったんですけど、今はたまに取れればいいやくらいの気持ちです。そこの意識が変わりました」。フォームを大幅に変え、力を抜いたフォームにした。
もともとカウントのとれる球だったカットボール主体のピッチングにツーシームを加え、不安定だったカーブやスライダーといった球種を練習して精度をあげ、使えるようにしていった。球速に対するこだわりも、以前ほどはなくなった。
どのようにして、打者の目線を変えたり、できるだけ的をしぼらせないようにするか、いかに打者のタイミングをはずすかを考えるようになった。
「球の勢いは大学のときのほうが全然良かったんですけど、そうゆう投球術の部分というのが一番成長したと思います」。昨年の都市対抗の予選で、三菱重工長崎と対戦、その試合で元阪神の野原選手は抑えることができたが、前年まで巨人にいた加治前選手に、ボコボコに打たれたという。
「これが元プロのレベルかなって。さすがにプロには、これだけじゃだめだな。そこで、どうしようかなって考えていましたね」と話す濱岡。打たれることで、さらに向上心を持って、自らを変えていく。年末に行われたRBC杯の沖国大との試合では、本人もほぼ納得できるピッチングで勝利を収めることができた。
現在、濱岡は、BCリーグのスタートに向けて1日の食事を4食に増やすなど体力増強に取り組んでいる。「今は、細いんで体力をつけることしか考えていないです」。177cm65kgの細身の体。もともと太りにくく、脂肪がつきにくい体質といい、シーズンを通して投げられる体力は必須だ。
いよいよ独立リーグでの挑戦も目の前に迫ってきた。
「独立リーグも、年齢的には2年が限界かなと考えています。2年後26歳でドラフトにかかるのも、それなりの力がないと厳しいですし。僕の年齢からいったら、来年1年間でしっかり勝負して結果残さないとダメだなと思っています。
もしかしたら先発をやるかもしれないと言われたので、球種を増やして勝ちを重ねたいですね。実際は、出番があれば、中継ぎでも抑えでもどこでもいいのですが。チームが勝つために貢献していれば、プロの目に留まるかもしれないですし。勝ちに貢献するしかないですね」
濵岡は福井ミラクルエレファンツでプレーをする決意をみせた。
昨年のBCリーグ・ドラフト会議の際、てるクリニックの二人の選手がほぼ続けて名前を呼ばれた。ドラフトのときも指名の順番がウエーバー方式で、福井の2位指名で濱岡の名前が呼ばれ、続いて新潟の2位が呼ばれたあと、折り返しで新潟3位で大嶋の名前が呼ばれた。
ほぼ連続で、てるクリニックの名前が出たので、会場が一瞬「おー」となってちょっと沸いたという。
動画サイトで「てるクリニックってどこ、二人も連続で採られたけど」とやっていたのを濱岡は見て、「名前を上げるのに少しは貢献できたかな」とお世話になった、てるクリニックへの思いも寄せた。
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