BCリーグ・新潟アルビレックスBC 3巡目指名
大嶋達也 てるクリニック
2016-01-15
大学卒業後も、契約社員で働きながらクラブチームのてるクリニックでプレーを続けた大嶋。独立リーグに進むためだけに2年間練習してきた。
「さすがに年齢的なこともあって硬式野球をずっと続けるのはきついなという思いがあったのですが、踏ん切りがつかなくて。どこかで踏ん切りをつけたいなと思ったら、BCリーグ、四国アイランドリーグでやったらあきらめがつくだろうと考えました」。
夢を追いつつ野球を続けたい思いと社会人としての不安定な立場。その葛藤に決断を下すべく場所として独立リーグへ進むことは大嶋にとって必要な道だった。
トライアウトで2本の柵越えをみせたように、小柄ながら大砲も備えている大嶋は言う。
「自分は、この身長にしては飛ばせるほうじゃないかと思っています。普通にスタンドインはできると思います。僕くらいの身長だったら、短打とか、カットしたりとか、そういう選手が多いですよね。そういうプレースタイルにみられるのが、あまり好きじゃない。遠くに飛ばせられないと魅力はないなと思っています」。
大嶋は、そのプレースタイルで、道を切り開いていく。
大嶋の経歴は、決して華やかなものではない。高校時代は外野の控えに甘んじ、大学では4年生になりやっとDHでレギュラーの座をつかんだ。
4年秋のリーグ戦でのベストナインが唯一の勲章だ。高校、大学時代と指導者に巡り合えず、自主練習を重ねる日々を送ってきた。野球に対する不完全燃焼感が大嶋に野球を続けさせた。
「中学校のときは、コーチがもとプロ野球選手で練習がメッチャきつくて、野球に行くのが嫌だと思うほどでした」。
それが高校に進むと一転、「全然きつくなかった。練習も自分たちでやらないといけない状況。それでちょっとやる気がなくなったというか。なあなあでやっていましたね」。
大嶋の高校野球は不完全燃焼のまま終わった。
「こんなんで野球を終わりたくない」。ちゃんと野球に打ち込んでいないのに終れるはずがないと、大学で野球を続けることを決めた。
しかし、県外の強豪校に進学する術もなく、当時県内で他を引き離していた名桜大へ入学し、野球部に入部した。
大嶋が入部すると同時に、名桜大は九州地区大学野球選手権大会を制し、神宮の土を踏んだ。
一年生の大嶋は当然蚊帳の外だったが、その後も高校のときに一生懸命やっていなかったツケは大きく、3年までは、代打でときおり試合に出るくらい。4年生になりやっとDH指名打者で試合に出るようになった。
大学野球の場合、就職活動のため、3年生の秋のリーグ戦が終わると引退する部員も多い。だが大嶋は野球を続け、4年春のリーグ戦で初めてDHでレギュラーの座を掴んだ。
春のリーグ戦が終わると残った4年生も、ほとんどが引退する。社会人野球からの誘いがあったわけでもない大嶋だったが、野球部を辞めなかった。
そして、最後となる秋のリーグ戦、DHでベストナインに選ばれる。
しかし、そこにも充実感や満足感は訪れなかった。
「高校のとき、何にもしていない感で終って、大学もそんな感じだった。教えてくれる人がいなくて、先輩からアドバイスをもらう以外は自分たちで考えてやってはいましたが」。大嶋は、さらに野球を続けようと、四国アイランドリーグのトライアウトを受験するが不合格となる。
そこから大嶋は、本気で独立リーグ入りを目指し挑戦を始める。そして内野手への転向を図った。
「BCとか四国を目指したときに、この身長で外野手だったら何もないなと思って。外野手は当然打てないとダメですが、身長が大きい人が採られやすいというのが見えたので」。
高校2年のときに外野手へ転向したが、外野守備は得意じゃなかった。内野手になって守備を鍛えてチャレンジしようと、秋のリーグ戦が終わると、後輩たちに交じり内野の守備練習を始めた。そして卒業後は、硬式で練習できる場所としてクラブチームのてるクリニックに入部した。
そんな大嶋に、冷ややかな目を向ける人もいた。「現実を見ろとか周りは言うんですけど、その人はその人なりの現実があるんだろうなと自分の中で思っていて。自分の現実は野球をやっていることが現実だからと。周りに流されて野球を辞める人もいましたが、自分は信念を持っていました」
てるクリニックに入ったことで、大嶋は自分自身の成長を感じることができた。
大嶋を大きく育ててくれたのが、四国アイランドリーグでプレーした経験を持つ比嘉将太の存在だった。比嘉は、四国アイランドリーグで元プロの監督やコーチから学んだ技術を伝授してくれた。
そのおかげで守備は各段にうまくなった。「的確に教えてくれました。技術だけでなく精神的なことや考え方も。
試合の入り方とか、試合中の声のかけ方やタイムのとり方までも細かく教えられました。1年目は考えることが多くてパンクしそうでした。2年目になって試合を重ねていくうちに分かるようになり身についた感じです。元プロから教わったことを僕らに還元してくれたので、どんどんうまくなった」。と感謝する。
てるクリニックは別々の仕事を持つ者が集まるクラブチームのため、練習は週3日、練習時間も3時間と短い。
そんな中で大嶋はバッティングも大学時代に比べ各段と向上させた。
「練習時間が少ないぶん、考える時間が多い。たくさん考えて、いろんな練習法を模索できたのが一番良かったのではないかと思っています。それに練習時間が少ないことで一球一球を大事にした。大学よりグンと伸びたのはそこなのかと思います。
去年よりもどんどん良くなっていくのが自分でも分かりました。周りも去年に比べて全然違うと言ってくれたので、これなら上でも出来るんじゃないかなと思うようになりました」。考える時間と一球に集中する姿勢が大嶋の打撃を開眼させた。
大学時代、教えてくれる人がいない状況で、こんな打ち方でいいのかなと不安の中、ずっとやっていた。
不思議と結果は出ていたが、これでいいのか、いつか打てなくなるだろうと思いを抱きながら打席に立っていた。
それが今は、「今日打てなくても修正ができる。一打席一打席で修正ができるんですよ。一打席目がダメだったら、振り返って二打席目はこうして打つ、三打席目はこうして打つ。そんな感じで打席に臨めます」という。新潟アルビレックスに入団後について尋ねたときも「バッティングは慣れればたぶん大丈夫だと思います。自分の中でそれくらいの自信をもってやっています」と答えた。
大嶋には、もう一つ、50m走5.8秒という武器もある。ベースランニグが得意で、てるクリニックでの2年間で「自分がセカンドに行ったら、一本で必ず還れるくらいの自信はつけました」という。
いよいよ4月からBCリーグでのプレーが始まる。
「初めてくらいですよ、野球漬けで野球やるのは。ほんと楽しみです。次は練習がいっぱいできる場所に行くので、そこで無理だったら無理だろうという気持ちです。やり切ってから終わりたい。BCリーグは、どちらかといえば諦める場とも言えるのですが、NPBに行けるように頑張るとしか言えないです。」と話す大嶋。
最後は、「新潟アルビレックスBCの知名度を上げて観客を増やしたいので、宣伝よろしくお願いします」と結んだ。
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