座波靖
2016-12-15
京セラドーム大阪のフィールドでジャッジ
去った11月に京セラドーム大阪で行われた社会人野球の日本一を決める大会の第42回社会人野球日本選手権で2試合、フィールドに立ちジャッジを務めた。
九州から派遣された2名の審判員の一人として、沖縄から初めて審判員として日本選手権に出場した。
二回戦の日本生命対日本通運の試合で二塁塁審を務め、日立製作所対鷺宮製作所の試合で三塁塁審に立った。初めての全国大会。「天井のある球場でジャッジをしたことないので、前日から入ってずっと目を慣らして照明を見ても打球を見失わないようにした。沖縄にドームが無いので、その辺は緊張した」と話す。試合の最中は緊張する暇もなかったとういう。
「とにかく次の行動、次の動作、そんなことを考えながらやっていたら、あっという間に試合が終わったという感じだった」。
全国大会で求められたのは基本
大会では、テクニカルアドバイザーが必ずついて、試合前のミーティングと試合後の反省会があった。細かいところまで指摘するので、すごく勉強になったという。
また、初めて顔を合わせる審判員とクルーを組むことから、基本の重要さを全国大会であらためて認識した。全く知らない人同士がクルーを組むので、ベーッシクなメカニクス(審判の動き・フォーメーション)が基本。
基本と違うことがあると他の審判員が戸惑う。ゲームのジャッジは4人の審判員の共同作業ともいえる。「沖縄でも口すっぱく言われてきたことですが、周りをしっかりと見ながら、選手の表情まで見ながら動くというのは、試合前のミーティングのときから言われました」。
当たり前といえば、当たり前のことだが、全国大会でも、周りを見ながら動き出して、他のクルーに合わせるようにポジショニングを行うことが求められた。「基本と違うことをしてうまくみせることよりも、みんなと同じことをしてうまいと思われる審判員は本物だと思う」という言葉も聞いた。
一球入魂
全国大会では、全く知らない審判員同士がクルーを組んでおり、選手も全然知らない審判員と初めて接することとなる。
選手たちも、審判はレベルをみながらプレーをしている。上手い審判員はゲーム中に信頼を獲得していく。そのような審判員から刺激を受けた。
「最初の一歩の踏み出しであったりとか、打球の判断であったりとか。また、ランナーがどこにいて、どんななプレーが起こるのか。その間にどんなトラブルが待っているかを考える。
ほとんどの審判員が甲子園で立たれている人たちで、全国という舞台で経験をつんできた人ばかり。自分も常に真剣にしてきたつもりだったが、あらためて考えさせられる部分があった。
「一球入魂」という言葉は、もしかして審判員のためにあることばなのかなと。審判は攻守の交代がないので球審だと一試合9イニングで300球くらいジャッジを繰り返す。塁審も一球たりとも気を抜かない。
今回は、沖縄の代表としてだけでなく、九州からの派遣だったのでプレッシャーもあったが、良い経験になった。
正しいルールを学び、審判員の道へ
座波さんの審判歴は6年。硬式野球の正式な審判員になって3年。審判歴は浅いと思われるが全国の舞台に立った。
審判を始めたのは息子が少年野球チームに入ったことがきっかけ。学生時代はバスケットボール部。
もともと野球を観ることは好きで、息子が野球を始めた頃は軟式野球チームにも所属していたので、基本的なルールの知識はあった。
息子のチームを手伝おうと練習試合で審判を務めるようになったのが始まり。そんなとき、ある練習試合で審判をしている際に相手チームの監督からの抗議を受けたが全く意味が分からないことがあった。
今となっては良いきっかけだったと思う。子供たちが懸命に野球をしているのに、大人がルールをちゃんと分からないというのはと、本を買ってきてルールの勉強をし始めた。自身もそうだが、学童の子たちがルール分からずに野球をやるよりは、きちんとルールを伝えたいという思いもあった。
そこから正式に審判の道を歩むことになる。首里地区の審判部に所属し、公式戦で審判に立つことになる。そこで出会った人たちが、座波さんを本格的に審判の道に導くことになる。学童の審判となって一年後には誘われて硬式野球のオープン戦で審判に立つようになった。
そこで見た社会人野球の選手にも刺激を受けた。そして、試合経験を積むために一年間、軟式野球の審判に立った。中学野球も含めると年間100試合以上、ジャッジを務めた。そして2014年から硬式野球審判員として登録されるに至った。
人として成長することができた
硬式の審判員では、先輩方にいろんなことを教えてもらって叩き込まれ、また九州の講習会や派遣で行かせてもらい、上のレベルを学んでいる。
今だ褒められたことはないと笑う。社会人野球のフィールドに立つと観客が見えない部分の選手たちの必死さも見えてくる。選手たちが気持ちよく試合ができるように努力しようと考えるようになった。審判員になって自分が一番変わったと思うのは、我慢強くなったことと人との接し方。
ゲーム中の失敗を乗り越えながら、ゲームではトラブルの処理や選手たちへの言葉の伝え方を自分なりに学んできた。人としてたくさん成長しするこができたと感じている。現在、硬式野球の審判員を務めながら、時間の都合がつけば学童や中学生の試合で審判に立つ。学童野球は座覇さんにとって審判の原点。子供たちに正しいルールや野球の楽しさを伝え、少しずつ貢献できればと思っている。
最後に座波さんは「今回、全国大会に行かせてもらったので、その経験を伝えことができたらいいなと思う。これから審判員を目指す人にも、こうやって行けるんだよと希望みたいなものを伝えていけたらと。東京オリンピックで野球も復活する。将来は沖縄から国際審判員も生まれてほしい。沖縄は高校野球にしてもレベルが高いので、審判員のレベルが上がっていける環境にあると思う。自分も満足しないでもっと向上していきたい。」こう結んだ。
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