野球も審判も奥が深いところが魅力
古波鮫智さん
2015-12-15
サッカー少年だった古波鮫さんが、今、野球の試合でジャッジを振るう。3年前に沖縄で開催された天皇賜杯全日本軟式野球大会の決勝では三塁塁審を務めた。サッカーをやっていた瞬発力が野球の審判に活かされていると話す。
古波鮫さんが、初めて審判員としてグランドに立ったのは26歳のとき。軟式野球を始めた古波鮫さんは、所属するチームが出場していた浦添リーグで審判を手伝うようになったが最初だ。
それから、毎週日曜日、審判として浦添リーグの試合でジャッジを振るった。浦添リーグでは3年ほど審判を務めた。
しかし、仕事で本土に行ったため、10年以上、野球から遠ざかっていた。そして、40歳を過ぎて沖縄に戻ってきたときに、偶然の縁で再び審判の世界へ導かれる。
沖縄に戻ってきてから務めた職場が、野球連盟の審判をしている人たちがよく顔をのぞかせる場所だった。そこで、以前に審判をかじった経験を持つ古波鮫さんは、誘われて本格的に審判員の道を歩むことになった。
野球の審判が、アウト、セーフの判定を確実に行うために一番重要なのはフォーメーション的な動きだ。3人審判、4人審判でも変わってくる。
例えば外野に打球が飛んだときに一人の審判はジャッジのため打球を追う。そして空いた塁を残りの審判がカバーする。古波鮫さんも審判をやり始めた頃は、先輩の審判員に叱られてばかりだった。
今は試合を終えたら反省会を行い、試合中の動きに対して良かったのか悪かったのか指摘し合うが、その当時は飲みニケーションが主。先輩の審判員に叱られながら、自分が納得したことを取り入れて学んできたという。
そうして審判として年間100試合以上をこなしながら、那覇支部ではC級の決勝、A級の準決勝、決勝などを任されるようになった古波鮫さんだったが、「山あり谷ありでした」と振り返る。
慣れてきて自信がついて、うまくなってきたなと思ったときに失敗して落ち込んで、そして立ち直って波に乗ったかなと思ったら、また失敗して落ち込んで。「そんなことを3回ほど繰り返して、50代になって、落ち着いたジャッジ、安定したジャッジができるようになった」という。
完璧を目指してもなかなか出来ないというのが野球の審判。それはプロ野球、メジャーの試合でも現れるみて百も承知。
古波鮫さんは「審判員は皆、責任感が強い。ミスをしたと感じたときに、かかえこんで落ち込む場合が多い」という。
古波鮫さん自身も自分でミスだったと思ったときは、「あの時の立つ位置が悪かったのかな」などと二、三日は頭を離れない時もある。
それでも、いつまでも抱え込むわけにはいかない、失敗を活かすためにもと、その後の試合で、思いきり、一生懸命やることで、ミスを吹っ切っていくという。
試合中の動きに関しては、試合に臨む審判員は同じクルーという感覚だ。ミスがないように、アイコンタクトやサインプレーで次に起こり得る状況を想定してお互いの動きを確認しあう。
アウトカウントによっても球審、塁審、それぞれの動きは異なる。打球を追う審判員が躊躇せずにボールを追えるようにして初めて次の動きが始まりクルーが機能するという。
天皇杯をはじめ九州大会など大きな大会で審判に立った経験を持つ古波鮫さん。大きな大会での緊張感もまた魅力だという。
今年の末、那覇支部では5人の審判が勇退する。那覇支部の審判部長を務める古波鮫さんにとって審判員の育成は緊急の課題。今後の沖縄の野球の発展にも気持ちを注ぐ。
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