上原 拓先生のアフリカ(タンザニア・サンジバル)便り その18
2016-02-15
監督不在の1ヶ月
2015年、タンザニアは5年に一度の大統領選挙の年にあたる。タンザニア国民の選挙に対する関心は非常に高く、日本国民のそれとは比較にならない。
過去には、国民が暴徒化して死者を出したこともあると言う。今年も、10月25日の投票日が近づくにつれて、候補者応援の集会やパレードの回数は増えていき、その人数や規模も次第に大きくなっていった。
ここザンジバルにも競い合う二つの政党があり、その支持者たちは互いに睨み合っている。仮に、投石の一つでもあれば即暴動に発展してもおかしくない雰囲気だ。
投票日の3日前、JICAはとうとう私たち協力隊員の退避を決定した。指示を受けてダルエスサラームへ退避した翌週、はたして、ザンジバルでは暴動が起き、191名が警察当局に拘束された。その後も、選挙結果を不服とする者が起こした爆破事件や爆弾所持者の逮捕などが相次ぎ、私たちの退避期間は11月24日まで続いた。
12月11日から始まるタンザニア甲子園に向けて、とても大切な時期に監督不在という最悪の事態になってしまった。土日に加えて平日1回の練習日を数えてみると12回も練習を欠席したことになる。
JICAの判断で現場を離れているとはいえ、私は選手たちに申し訳ない気持ちになった。その反面、嬉しいこともあった。それは私が不在した一ヶ月以上、オスマン先生とキャプテンのカリムを中心に彼ら自身で練習を続けていたことだ。しかも、先に述べた練習日とは別の日にも皆で練習していたと言う。
監督不在の中、「試合に勝ちたい」という気持ちを互いに確認し合い、時間を作ってグラウンドに集ったのだろう。考え方を少し変えてみると、これこそ本当のザンジバル野球ではないか。
私たち協力隊員の派遣には期限がある。約2年の活動を終え帰国した後、そこに何が残るのか。それを念頭に置いて日々活動しているつもりだ。そのことに関して、この退避期間で期待を持てたことが一つある。それは、私が帰国した後も、ザンジバルには彼らがいるということだ。これ以上ない活動成果だと自負するのは甘いだろうか。
初合宿
11月25日、選挙による退避指示が解除され、一ヶ月ぶりにザンジバルへ戻った。
勤務先のザンジバル国立大学に溜まっていた仕事を一通り終わらせて、私はすぐにグラウンドへ向かった。平日で練習は休みだったのだが、希望する選手たちが集って自主練習をしているという情報が入ったからだ。
グラウンドへ顔を出すと選手たちが駆け寄ってきてくれた。彼らと会えなかったのは一ヶ月という短い期間だったが、自分たちで練習を続けてきたぞという自信に満ちているようだった。
そんな彼らが「タクゥ、合宿をしよう」と提案してきた。
大会まであと10日、計画も当てもないこの提案に乗り気になれなかったが、「宿や食事については自分たちでどうにかするか!」と選手たちに押し切られ、一泊二日の強化合宿を行うことになった。
合宿当日の夜、右で50回、左で50回、素振りをしなさいと指示した。ナイター設備や室内練習場等が無いためボールを使う練習を避けたかったし、県高野連のザンジバル野球支援プロジェクトで戴いたバットが人数分あったからだ。
これまで1本のバットを皆で交互に使っていた彼らにとって、一人で100回もバットを振るということは未知の世界だったのだろう、後半は「ヒーヒー」言いながら振っていた(笑)。
この合宿の最後は座学で締めくくることにした。皆を薄暗い教室に集め、家から持参したプロジェクターを使い、幾つかのことを教えた。その中でも繰り返し伝えたことは、相手と審判への敬意の表し方である。「相手チームと審判がいるから試合が出来る」ということはずっと言い続けているが、試合経験のない彼らにしっかりと視覚的にも示しておきたかったのだ。その手本として日本の甲子園の映像を使った。
「このピッチャーは、審判が投げてくれたボールは必ず両手で捕るんだ。」
「相手ピッチャーからデッドボールをもらっても怒りを出さないだろう。」
「ボールだと思って見逃した球で三振になってもベンチへ走って帰ってくるんだぞ。」
という具合である。次回、この勉強会の成果と大会の結果を報告する(上原 拓)。
沖縄には豊見城や沖縄水産を率いた故栽監督や興南比屋根監督、浦添商盛根監督、沖縄尚学金城監督など、20世紀の県高校野球界を彩ってきた幾多の名将がいた。
そんな折、北部の山間に囲まれた田舎の球児たちを率いて甲子園出場を果たしたばかりでなく、全国選抜高校野球大会でベスト4に入るという偉業を成し遂げた将がいる。いわずと知れた奥濱監督だ。彼が球児たちに示した言葉、「自立・自律」が選手たちの心を育み、練習に対する姿勢が変わると野球の技術に加えて精神力も向上していった。監督が不在の中、自らの考えで練習に励んでいたザンジバルナイン。
今はからし種ほどの小さなものかも知れないが、海を越えた地にMade in Okinawaの「自立・自律」の心が産声を上げはじめたのだ(當山)。
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