湧川雄貴
湧川雄貴
2016年の都市対抗野球において、中国地区代表として出場したJR西日本(広島市)のエースの湧川選手にインタビューを行いました。
2016-08-15
三つ巴を征す
大平「本日は大会中にも関わらず、貴重な時間を賜り、ありがとござます。」
湧川「いえいえ、とんでも無いです。こちらこそ、ありがとござます。」
大平「まずは都市対抗出場、おめでとうございます。」
湧川「ありがとござます。」
大平「やっている側は大変だったと思いますが、今回の中国地区予選は、観ている側としては、とっても面白かったです。」
湧川「ですね。最後まで伯和ビクトリーズと三菱重工と激しい代表争いをしていましたから。前回の日本選手権は、伯和ビクトリーズに持って行かれたので、今回は何としても我々が代表の座を勝ち取ろうと、皆で心を1つにし、乗り切ったと思います。」
大平「そんな中で、湧川さんは、実に安定した活躍を見せていたと思います。正に絶対エースだったと思います。」
湧川「いやいや、自分の力何て微々たる物です。打者や野手が頑張って、非力な自分を補ってくれたからの出場ですよ。」
大平「うっわ~、ずいぶん腰の低い言い方ですね。確かに、いくら投手が0点に抑えても、味方が点をくれなければ、引き分けにしかなりませんからね。」
湧川「たまたま自分は投手をやっていますが、野球は9名、社会人だと指名打者を含め、10名、もっと言うと、チーム全員で行う物ですから、その試合で調子が良かったり、結果が良かったりはしますが、勝利も敗戦も、皆の物だと思っています。」
大平「チームの皆さんも、とっても仲が良いように見えます。そこいら辺も強さのゆえんかと思いますね。」
湧川「ほとんどの選手が若い世代なので、話も合いますし、仲は良いと思います。かと言って、ダラダラと馴れ合いにはならないように、野球と遊びはキッチリ皆線引きはしています。」
大平「素晴らしいですね。チームの皆さんの勤務地が、結構バラバラですので、そこも馴れ合い防止につながっているかも知れませんね。」
湧川選手に会った最初の印象は、とっても礼儀正しく腰の低い人だと言うことでした。昔から野球部で、上下関係をたたき込まれたとは言え、忙しい中インタビューを受けてくださったと言う負い目があるこちらが、恐縮してしまう程でした。湧川選手のJR西日本での勤務先は営業課。ひょっとしたら、常日頃の業務で培われたのかも知れません。とは言え、この誠実さは財産だと思います。
当時の沖縄四天王
大平「湧川さんの同級生の世代は、我々の間では注目でした。『ひょっとしたら、夏の優勝旗を持って来てくれるのでは無いか?』と。」
湧川「小学校、中学校の頃から、注目されていた選手も多かったですね。」
大平「そんな中で、我々が勝手に四天王って呼んでいた投手がいるのですよ。」
湧川「ほぉ。」
大平「ソフトバンクの東浜、ロッテの川満、沖縄電力の伊波、そして湧川さんです。」
湧川「あの3名と同列に挙げてくださってありがたいのですが、くすぐったいような。」
大平「皆別々の高校で競っていましたが、あの4名の内、2名が同じ高校に行っていたら、夏の優勝旗を持って来れたんだのに~って、当時は大盛り上がりでした。」
湧川「春は沖縄尚学が優勝し、夏は浦添商業が4強でしたからね。」
大平「東浜と伊波が速球派で、川満と湧川さんは、カーブが素晴らしいと思っていました。」
湧川「カーブですか。ん~、そうでしたかね?余りそう言う意識は無かったのですが。」
大平「湧川さんの場合は、絶妙な制球力で、外角に決まるカーブが素晴らしかったです。」
湧川「当時は、直球の速度を1kmでも上げようって考えていました。でも、そう簡単には行きませんでしたので、直球をいかに速く見せるかと言うことで、変化球を使っていましたね。今以上に、直球にこだわりがあったんだと思います。」
東浜と伊波が150kmの直球と言われていた中で、湧川選手も140kmと言われていた中部商業時代。意識するなと言う方が無理と思います。筆者の場合は、どうこをどう転んでも速球投手とは縁遠かったため、スパッと諦めることができましたが、湧川選手の場合は、速球投手を目指しながらも、別な角度でもその可能性を模索していたようです。
総合力で挑む
大平「湧川さんの決め球は、今でも直球ですか?」
湧川「ハイ!.....と言いたい所ですが、今は違いますね。」
大平「ですか~。」
湧川「自分は、そんなに球が速い訳では無いので。」
大平「え~?最速142kmって言われていますよ。」
湧川「いやいや、今、速球派と言われるためには、150kmは出せないと。」
大平「うわ~。何と言うか、隔世って気がします。140km出しても速球派と言われないとは。」
湧川「ですので、今決め球としているのは、落ちる系の球ですね。」
大平「フォークボールですかね?」
湧川「ふふふ。」
大平「カーブはどうですか?」
湧川「ん~、使いますけど、決め球にはしないですかね。」
大平「カウントを稼いで、落ちる球で勝負ですかね?」
湧川「ですね。ただ、先程も言いましたが、自分は速球派とは思っていません。正直、確実に空振りが取れる変化球がある訳でもありません。ですから、試合に勝つために、総合力で挑んでいます。」
大平「なるほど。その総合力の中核を成すのが、制球力ですね。」
湧川「ですね。思った所、もっと言うならば、捕手が指示をし、そこの球を打ったら、どこに飛ぶであろうと、野手が予想できる所に投げることを目指して、練習しています。」
大平「なるほど。どの指に、どの位力を入れればどこに行くかと言うことを磨きながら練習していると言う訳ですね。」
湧川「そうですね。制球力を中心に、そこそこの球速と、そこそこの変化球で勝負する。それが自分の目指す、総合力です。」
昔、UWFと言うプロレス団体がありました。当時のビデオでスロー再生しても映らない程の速度で打撃を加えた元タイガーマスクの佐山聡と、関節技の名手藤原喜明。しかし、この2名を抑えて、エースに君臨したのが前田日明でした。佐山程の打撃は無く、藤原程の関節技は無い前田。しかし、打撃と関節技の両方を高いレベルでこなす前田が総合力でエースの座を保持しました。湧川選手は、この時の前田を彷彿とさせる、総合力で掴んだエースの姿を見ました。
大胆?繊細?
大平「湧川さんは、大舞台を数多く踏んでおりますよね。」
湧川「ですね。幸いにして。」
大平「そして、そのいかにもうちな~んちゅって言う風貌。更に、そのがっちりとした体格と言う、経験と見た目から、度胸満点って言う風に言われていますよね。」
湧川「はっはっは。良く言われます。自分でも、シーサージラーだなと思っていますからね。」
大平「でも、ですね、今日、こうして話を聞いて更に確信したのですが、実は湧川さんって、繊細な人なのでは無いですかね?」
湧川「うわ~。わかりますかね?実は、自分でも、そんなに鈍感だったり大胆だったりした性格とは思っていないのですよ。神経質では無いと思いますが、小心者かと思います。」
大平「その慎重さも、湧川さんの言う総合力にプラスに働いているのでは無いですかね?」
湧川「そうですかね?自分としては、小心者だと思っているからこそ、安心感を得るために練習しています。」
大平「『これだけ練習したのだから勝てる。』って言う感覚ですかね。」
湧川「そうですそうです。マウンドで練習のことを思い出すと、安心する気がします。」
見た目で性格を決められてはたまりませんが、世間はそう言う目で見ています。ですが、その評判を利用すると言う手もあるかと思います。つまり、「湧川は焦らせてもダメだ。」と、小細工をさせても無駄だと思わせることです。湧川選手のことなので、きっとそこまで考えているんだハズ。それから、JR西日本のホームページの湧川選手の写真ですが、いかにもウ~マク~な感じで写っています。ですが、実物は笑顔満点で、人懐っこいですからね。
広島ま~さん
大平「湧川さんは、大学時代は愛知県で、卒業後に広島に来ましたよね。沖縄と、それぞれ全く異なる食文化と思いますが、その点はどうですか?」
湧川「これは声を大にして言いたいのですが、『広島ま~さん』です。」
大平「おおっ!」
湧川「愛知は、味噌が塩辛過ぎて、今ひとつ、口に合いませんでした。」
大平「なるほど。南九州以南の味噌醤油は、小麦を主原料にしているので、グルタミン酸が豊富な、甘めな味ですからね。超辛口の八丁味噌とは、異なりますからね。」
湧川「広島の味噌や醤油は、沖縄の物とは異なりますが、それでも、近い味です。そして、瀬戸内海の魚介類は、沖縄の魚よりも、美味いと思います。」
大平「プランクトンが豊富なので、油が乗っているのでしょうね。」
湧川「最近では、ヒラヤチ~よりも、お好み焼きが美味いと感じています。」
大平「それはいかんです!」
湧川「あうあう。」
広島と言うと、牡蠣とお好み焼き位しか思い浮かばない人もいるかと思いますが、そこは100万人都市。ま~さんむんがとっても沢山あります。瀬戸内海の魚介類も美味しく、沖縄とは異なる海の幸は、食べてみる勝ち充分です。
体重の推移
大平「湧川さん、少し痩せましたかね?」
湧川「ん~、体重は減っていないのですよ。ベルトの穴は減ったかと思いますが。」
大平「あ~、それは筋肉が着いたからですよ。」
湧川「え~?本当ですか?」
大平「本当です。脂肪は、要するに脂ですから、水に浮く程軽いのですよ。対して、筋肉は、タンパク質ですから、同じ体積でしたら、圧倒的に重いのです。」
湧川「では、良いとですかね?」
大平「難しい所なのは、ある程度脂肪が無いと、持久力に問題が出ると言うことですね。先発完投型の湧川さんの場合、後半になっても球威が落ちないことは必要と思いますから。それに、急に筋肉の割合が変わると、力の入れ加減、制球力にも影響が出ると思いますので。」
湧川「なるほど。そうなのですね。でも、意識的に体重や体型を変えようとした訳では無いので、まぁ、必要に応じて、焦らずにやりますよ。」
最近の都市対抗では、細めの投手を多く見る中、湧川選手は目立つ体型ではあると思います。ですが、体調不良等では無いようですので、心配は無用かと思いました。
来れ、うちな~んちゅ
大平「現在、JR西日本硬式野球部のうちな~んちゅは、湧川さん1名のみですが、正直、チームメイトのうちな~んちゅがいたらな~と、思っているのでは無いですか?」
湧川「そう思いますが、こればっかりは、本人の意向と、会社の意向がありますからね。自分がいくらそう思ってもどうにもなりませんから。ですが、最近は、対戦相手にうちな~んちゅが増えて来たので、とってもやりがいを感じています。」
大平「伯和ビクトリーズの池原、真謝、三菱重工広島の大城等、中国地方の名門にうちな~んちゅが入りましたからね。」
湧川「そうですね。彼らは年下ですが、それ程年齢が離れている訳では無いので、試合前等に、結構話し込んでしまうこともあります。そして、試合で対戦すると、やっぱり力が入ってしまいますね。同じチームでも良いのですが、対戦相手がうちな~んちゅと言うのも、また格別ですよ。」
大平「なるほど。では、同じチームにも、中国地方の社会人チームにも、もっとうちな~んちゅが来るように、宣伝しないと~。」
湧川「ですね。広島周辺は、食べ物も美味しいですし、とっても暮らしやすい所だと思います。ぜひ、野球をやりましょう。そうで無くとも、試合や練習をうちな~んちゅに観に来て欲しいです。」
大平「今日は、大会中にも関わらず、ありがとうございました。是非勝利を期待しています。」
湧川「ありがとござます。頑張ります。」
その後、JR西日本は初戦のかずさマジックとの試合を湧川選手の好投と打線もつながりで、6-1で快勝しました。湧川選手は、6回1失点で、自己最速タイとなる142kmを連発し、全く危なげ無い投球を見せてくれました。
しかし2戦め、優勝したトヨタ自動車との試合で、1-1の緊迫した展開から、8回に壱市満塁で先発の鮫島を引き継いだ湧川選手が打ち込まれ、悔しい敗退を喫してしまいました。高いレベルで、1球の失投も見逃さない社会人野球の全国大会ですので、正に紙一重であったと思います。悔しい思いはしたでしょうが、この敗戦を必ずや湧川選手は今後の糧にしてくれると思います。広島に優勝旗を持ち帰り、沖縄にも凱旋する、そんな日が早くくることを願っています。
チバリヨ~、湧川雄貴!