美里高校野球部 PICK UP! TEAM
美里高校野球部
2014-11-11
親子ニ世代だけでなく三世代で活動!
春の県大会抽選の直前、美里高校野球部(以下美里)は出場辞退を申し出た。
長い冬を乗り越えてようやく日の目を見ようとしていた矢先の辞退は、選手たちにとっても苦しいものだったに違いないが、決断した学校側もこれは決して君たちへの罰ではなく、もう一度仲間であるお互いを理解し合う期間として設けるのだよと、根気強く選手たちと話し合った。その結果の一つが首里と互角に渡りあった夏の選手権であり、秋の県大会での勇姿へと繋がっていった。
昨年の暮れ、来年度の野球部監督がいなくなるかも知れないとの激震が美里を襲う。そこへ、野球を教えることよりもまずは環境整備からと、落書きだらけの部室のペンキ塗りなどに奔走していた同校OBの屋嘉比政彦氏に白羽の矢が立てられた。とはいえ、春の大会辞退で練習試合もままならない日々が続いていたがそこへ現れたのが読谷高校から異動してきた山城明男先生だった。「もちろん山城先生が監督をされるもの」と思っていた屋嘉比監督だったが、共に学校生活をしっかりやる選手たちを育てようと意気投合。練習試合の調整からメニュー作成までを山城先生が部長としてカバーすることで屋嘉比監督の心労と負担も激減。以前よりも選手たちと野球に没頭出来る環境になっていった。そして迎えた夏、初戦で敗れはしたものの、古豪首里を向こうに回し2対4と善戦すると、新チームに移行した秋にはさらなる成長の跡を見せる。
初戦の那覇西との戦いでは仲宗根孝斗の4打点などで試合を有利に進めたが8回裏、2点差に詰め寄られ尚も無死一・三塁と大ピンチの場面を招いてしまう。だが阿部航太が次打者を併殺に斬り、最後は三振に仕留めてガッツポーズでベンチを鼓舞すると、9回には4連打を重ねるなど5点を加えて1年2ヶ月振りの勝利を手に入れたが、これはまだ序章に過ぎなかった。続く2回戦、優勝することとなる中部商業高校(以下中部商)との戦いで彼らは周囲を驚嘆させた。新人大会予選ではコールド負けにノーヒットノーランのおまけつきで敗れた格上を相手に奮闘。先発した中島青葉が12四死球を出しながらも「今の投手陣は四死球出して当たり前だから」(屋嘉比監督)と、それに対応する練習を積んできた野手陣も堅守を見せ、延長10回へ縺れ込み中部商を苦しめた。残念ながらサヨナラ負けを喫してしまったが、中部商に比べ部員数で約1/4ほどしか居ない美里にとって、王者を向こうに回して大健闘とも言うべき試合だった。
岩根もかたき学び舎に校章の光仰ぎつついそしむ「ナイン」は、間違いなく日々新たに成長の歩みを進めている。
TEAM DATA FILE
チーム名 | 美里高校野球部 |
スタッフ | 屋嘉比政彦監督、山城明男部長、當眞功副部長 |
創立 | 1978年学校創立と同時に創立 |
部員数 | 選手16名、マネージャー2名 |
練習日 | 月曜日お休み |
創優勝履歴 | 1984年春の県大会初優勝く |
監督取材
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