第27代沖縄県知事島田叡氏顕彰碑除幕式典

第27代沖縄県知事島田叡氏顕彰碑除幕式典

2015-07-15

6月26日、奥武山運動公園の兵庫・沖縄友愛グラウンド(旧多目的広場)内にて、島田叡氏顕彰碑除幕式典が行われ、兵庫県と沖縄県から多数の関係者が集い、島田叡氏の崇高な心に思いを馳せ、合わせて兵庫と沖縄の友好を深めた。

70年前の夏も、このようにギラギラした陽射しだったのだろうか。

旧神戸二中(現兵庫高校)、旧三高(現京都大学教養部)、東京帝国大学(現東京大学)で、野球部員として活躍した島田叡氏。

当時の沖縄は、県知事が、沖縄を離れて戻らないほど、尋常ではない情況。

そのような中、当時大阪府内政部長だった島田叡氏に、白羽の矢が立てられる。

死地に向かうことに家族すら反対する中、「俺は死にとうないから、誰か代わりに行って死ね、とはよう言わん。」と、第27代県知事に赴任。

以来、在任僅か5ヶ月足らずの間に、県民の疎開や食料確保、戦場からの避難誘導に全力を挙げて最期を遂げられたことから、沖縄の島守とも呼ばれている島田叡氏。

その功績を称える事跡顕彰碑の除幕式典に、井戸敏三兵庫県知事や、翁長雄志沖縄県知事を始め両県から多くの関係者が集った。

他に類を見ないと言われた島田叡氏の品格がさらに練られたのは、野球を通した「Fight,Fair play,Friendship」であると言われており、その3つの頭文字Fは現在、日本高等学校野球連盟のシンボルマークとなっている。

【 温故知新 】。子曰く、故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知る、以って師となるべし。と孔子は説いた。

戦後70年、阪神淡路大震災から20年の節目の年に、島田叡氏の事跡顕彰碑の除幕式が行われたことは大変意義深いものである。

野球を愛する多くの方々も、兵庫・沖縄友愛ゾーンにある碑へ足を運び、今一度、戦争の愚かさを知るとともに、島田叡氏の愛とスポーツマンシップ精神を受け取って、野球ができる喜びを感じてほしい。

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